資産運用をしない多くの日本人は「正しい金融行動」ができる優秀な国民なのか?

宮崎明日香(38歳)は、喫茶店の隣の席から聞こえてきた話に「まるで、お母さんのようなことを言っている」と微苦笑した。その声は、男性の声としては甲高く、また、かなり早口だった。そして、「だから、感じるままに行動するのがいいよ。日本人はリスクを好まない人種とされ、運用で資産を大きく増やした欧米人に比べてずいぶん損をしてきたように言われる。だけど、日本はこの前まで、世界で例のないようなデフレ(物価が下落する状況)が続いてきたのだから、日本人が預貯金に偏っていることは決して間違った行動をしてきたわけではない」と強調していた。

15年ぶりに再会した幼なじみは…

明日香は、「『日本人の預貯金偏重って、まるでお母さんの言葉じゃない」と思わず隣の男性を見てみると、それは幼なじみの石田健斗(39歳)だった。びっくりして「え、ケンちゃん?」と声が出た。その声に石田も反応して「あれ? あすか?」と、互いの名前を呼び合った。石田は、明日香の実家の近所に住んでいたため、石田を幼い頃から知っていた。石田は大学に通う関係で転居し、それ以来、明日香と会うことはなかった。石田が証券会社に就職することを目指しているということを母の玉枝(73歳)から聞いたことがあった。

玉枝は、若い頃は証券会社に勤めていて、結婚して退社した時期が、いわゆるバブルのピークにあたり、持株会で毎月2万円ずつ積み立てて取得した持株が、退職時に売却してみると6000万円近くになっていたという。その資金を住宅取得の頭金にするとともに、資産運用も継続し、運用益によって子供たちの教育関連費用なども不自由なく行って、老後の生活も悠々自適に送っている。明日香も玉枝を追って証券会社に務めたものの、証券会社に入社した年にリーマンショックを経験し、将来の展望が見いだせないような毎日を暮らした。結婚・妊娠を機に証券界に見切りをつけて退職したが、その後、アベノミクスで株価が大きく上がったのを横目に、ちょっと決断が早かったかと後悔した。幼い頃は、石田は家業が乾物屋を営む商家であるせいか、正月のお年玉の額が近所の子供たちの中では飛び抜けて多くあったことが印象深かった。

初めての投資に向かう理由とは?

石田に誘われるままに席を移した明日香は、約15年ぶりの再会を祝うと、その後の消息を互いに語り合った。石田は、証券会社への就職はかなわず、今はFA(ファイナンシャル・アドバイザー)の仕事をしているという。「FAというのは、お客さんの立場に立って金融サービスについてのアドバイスをする仕事だ」と石田は胸を張った。石田の所属する事務所は複数の証券会社と提携し、相談相手である個人の顧客の意向を確認した上で、その人の「ファイナンシャル・ゴール」の実現に資すると考えられる商品をピックアップして提案するのだそうだ。ちなみに、石田が話していた相手は、石田と交際しているという佐山詩織(33歳)だった。詩織が資産形成を始めるにあたって、何から始めればよいのかということを石田に相談していたという。

「詩織ちゃんは、最近の物価高に対抗するには、株式投資とか不動産投資が必要なのではないかと言い出したんだよ。良いセンスしてるでしょ」と石田はニコニコして明日香に詩織を紹介した。石田と詩織は石田の勤める会社が開いた資産運用セミナーで知り合い、ともに釣りやグランピングなどのアウトドア活動を趣味にしていることで親交を深め、今では、互いの親も公認の交際相手になっているという。その日は、石田の父親が交通事故に巻き込まれて入院する大けがをしてしまったため、その見舞いに2人でそろって行ってきたところだという。ちなみに、石田の実家は石田の兄が家業を継いで創業120年になるという乾物屋を切り盛りしていた。

「ただ、詩織ちゃんは、これまで銀行預金しかしたことがないから、何から始めればいいのかがわからないという話だったんだ」と、それまでの話の内容を簡単に紹介し、「だから、難しく考える必要ないという話をしていたところ」だという。

デフレ時代の預貯金はどうするのが正解?

もちろん、明日香も玉枝とはよく「日本人の預貯金偏重は変えられないのか」という話をすることがあった。ただ、明日香が玉枝と話しているのは、デフレ経済では、時間が経過するほどにモノの価値が減じていくので、手元にある現金をずっと保有していればいるほど、お金の価値が上がっていくことは事実だが、それでも、何もしないで現金で置いておくことは、せっかくのチャンスを無駄にしていることに等しいという話だった。その玉枝との話とは……。

後編【日本人は「やっぱり現金」デフレ経済下で投資をしなかったのは“誤った選択”だった?】にて、詳細をお届けします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

風間 浩/ライター/記者

かつて、兜倶楽部等の金融記者クラブに所属し、日本のバブルとバブルの崩壊、銀行窓販の開始(日本版金融ビッグバン)など金融市場と金融機関を取材してきた一介の記者。 1980年代から現在に至るまで約40年にわたって金融市場の変化とともに国内金融機関や金融サービスの変化を取材し続けている。


© 株式会社想研