インドネシア・ミレニアルの肖像 Jasmine Okubo (29) ダンサー、振付師

初めてバリに来たのは3歳の時だったんですが、その時、チャロナランのダンスを見て「あー、バリダンサーになりたいなあ」て思ったんですよね。でも、両親が「そんなに早くに自分の人生を決めていいの? もっといろいろな物を見てからにすれば?」と言って、それから6年間、いろいろな国へ連れて行ってくれました。でもやっぱり、バリダンサーになりたかったんです。9歳の時から時々、バリに来ては、レッスンを受けるようになりました。そしたら、両親がバリに引っ越す決心をしてくれました。

バリに引っ越す前、12歳の時に、短期間バリで練習していたんですけど、その時にアメリカの振付師と出会いました。「シアトルでイベントをやるから出演してくれないか」と招待されて、1年間、シアトルで過ごしたんです。そこで初めてコンテンポラリー・ダンスや黒人のダンス・カルチャーを知って、振り付けにも興味が出てきました。

アメリカから直接バリへ帰り、それからはバリダンスをたくさん練習して上達して、ウブド王宮でも踊っていました。外国人は踊ってはいけない所なんだけど、特別に許されて。でも、バリ人のダンサーたちから嫉妬されて、嫌な思いをたくさんして、自宅に引きこもって1年間、誰にも会わずに過ごした時期もありました。決心してバリ芸術大学に入り、ニョマン・スラ(Nyoman Sura)というダンサーのクラスで、彼とともにコンテンポラリー・ダンスのイベントで踊ったり、振り付けをするようになりました。卒業してからは、むしろコンテンポラリー・ダンスの仕事が多くなりましたね。

バリを離れて3年間、函館へ行っていました。生まれて初めて暮らす日本でした。北海道国際交流センターでプログラム・コーディネーターの仕事をして、クロス・カルチャーなダンスのイベントを企画したりしました。一般の人が参加するイベントをやっていた時、芸術の力を実感しましたね。それがパーフェクトでなくても、芸術にはコミュニケーションを作る力があるんだなあ、って。

最近、バリに帰って来ました。インドネシアでは以前よりも、芸術の存在感が強くなった気がします。

大久保やすみん
1987年、トルコ生まれ。母は整体師、父は画家で、1970年代に日本を出てから、家族でさまざまな土地を旅して暮らしてきた。やすみん自身もさまざまな土地を経て、現在、バリ在住。2005年、バリで開かれた「みつばちの踊り」コンテストで優勝。2006年、インドネシアのダンス・オーディション番組「Penari Indonesia」にバリ代表として出場し、2位。2011年の東南アジア大会(SEA Games)開会式で振り付けを担当。

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