日本人は「やっぱり現金」デフレ経済下で投資をしなかったのは“誤った選択”だった?

<前編のあらすじ>

交際相手の佐山詩織(33歳)に対して、「デフレ時代は、キャッシュが最高だった」と説く石田健斗(39歳)の話をたまたま耳にした宮崎明日香(38歳)は、その話の内容に、少し違和感があった。明日香の疑問を石田にぶつけると、石田は過去のデータを検証し、デフレ時代の投資成果について確認することにした。その結果は……。

●前編:資産運用をしない多くの日本人は「正しい金融行動」ができる優秀な国民なのか?

デフレ下の現預金保有をデータで検証する

明日香は玉枝の話を思い出しながら、「日本がデフレだったといっても毎年5%や10%も物価が下がったわけではないでしょ。1%にも届かない小さな物価下落が継続していただけじゃない。世界の動きと比較すれば、物価が上がらないというだけで極めて異常な事態なので日本の事例が注目されているだけのことなの。だから、その間、現金を持っていて現金の価値は上がったかもしれないけど大したことはないっていうことなのよ。むしろ、その間に株式などに投資していた方が良かったんじゃないかな」と石田と詩織に話した。「日本人の中に根強く残っている信仰のようなもので預貯金が一番居心地がよく感じられるだけで、これからの日本人は、それを克服する必要があるんじゃないかな」と明日香が言うと、石田は「そうか、デフレ率はあまり考えたことがなかった」と頭をかいて手元のタブレットを操作し始めた。

石田がネット検索で見つけ出したのは、総務省統計局のサイトで国内の消費者物価指数の推移だった。2020年を100とした指数(CPI総合)で1970年から振り返ると、1998年の98.3をピークとして指数は下落し、2012年に94.5になってボトムになる。その後に指数は緩やかに回復し、2022年の指数は102.3だ。石田は、「これをみると、1998年から2012年まで14年間が物価下落のデフレの時代といえるね。この間の年平均の下落率を計算すると、0.282%という結果だ。物価の下落分が現金の価値に上乗せされたと考えても年0.282%程度の価値向上に過ぎなかったというわけだ。確かに、数字に落とし込んでみると物価の下落率は小さい。年0.3%程度と考えると、年率7%以上で成長している『S&P500』とか、他にも魅力的な資産はたくさんあるよね」と、石田はタブレット端末を使ってサクサクと、「デフレ下のキャッシュ価値の向上」の実態を数値化してみせた。

デフレ時代に株式投資を選択していたら?

「じゃあ、仮に、この間に株式に投資していたとすればどうだろう?」と、石田の探究は止まらない。小さい頃から、何かに夢中になるとご飯も食べず、寝ることすら忘れて没頭するのが石田だった。このような姿は、明日香にはおなじみだったので、詩織に小声で「ケンちゃんの病気が始まった」と耳打ちした。それに詩織が答えて、「ホント、いつも何かがきっかけになって自分の世界に入っちゃうんだから……」とため息をついた。「おーい、ケント、戻ってきてー。ノックノック、聞こえますかー」と小声で石田に話しかける詩織の様子がおかしくて明日香はクスクス笑ってしまった。

石田は、タブレット端末を使って計算した結果をグラフにして明日香や詩織に見せてくれた。「消費者物価指数が下落していた1998年から2012年の約15年間がデフレで現金の価値が上がっていた時代といえる。この間に株式投資をしていたとしよう。そうすると、TOPIX(東証株価指数)に投資していても、米国のS&P500(円ベース)に投資していたとしても、株価は横ばいで投資の価値は感じられない状況だった。ただ、アベノミクスが始まって未曾有(みぞう)の金融緩和が実施された2012年以降は、日本の株価が大きく上昇している。異次元緩和で円安が進んだことで米国の株式に投資していた場合は、株高と円安効果がダブルで効いて、むちゃくちゃ高いリターンが得られている」と石田は話した。

石田は続けて、「デフレの時代は、その期間だけをみれば株式投資にも厳しい時代だったといえるね。その意味では『デフレの時代は預貯金で置いておくのが正しかった』と言っても間違いではないように思う。問題は、それを自らの意志で選択したのかということだと思うよ。結果的に何もしなかったからよかったというのではなく、デフレだから、あえてキャッシュを持っておこうと積極的に現金化する姿勢が大事なんだと思う。デフレの時にも運用を継続し、例えば、積立投資をこの間ずっと行っていたら、物価が上昇し始めた2013年以降で大きな投資成果を得られることになっている。考えて行動し続けたことが成果に結びつくんだということなのじゃないかな」と腕組みをしてうなずいた。

「投資を始めて、始めたら継続しなければならない。考え続けなければならないということなんだよね。ケンちゃんが言ってる通りだと思うよ」と明日香は言った。しばらく会わないうちに、ずいぶんと成長したように感じる石田のことが、少しまぶしく感じられた。「ところで、今日はアスカは、どうしてここに?」と石田に聞かれて、明日香は玉枝と待ち合わせをしていることを思い出した。「あ、今日、ここでお母さんと待ち合わせしているんだった。(時計を見て)わ、もう、こんな時間だ、そろそろ来てもいいころ……」と明日香が言い終わらぬうちに、喫茶店の扉が開くベルの音がチリンチリンと響いてきた。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

風間 浩/ライター/記者

かつて、兜倶楽部等の金融記者クラブに所属し、日本のバブルとバブルの崩壊、銀行窓販の開始(日本版金融ビッグバン)など金融市場と金融機関を取材してきた一介の記者。 1980年代から現在に至るまで約40年にわたって金融市場の変化とともに国内金融機関や金融サービスの変化を取材し続けている。

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