天皇陛下 開催発表は異例の17日前…一般参賀ご決断にあった「雅子さまのご説得」

被災者の苦境にお心を痛めていらっしゃる両陛下 /(C)JMPA

「お体を大切に」「お仕事はいかがですか」などと、高齢の出席者たちに声をかけられた天皇陛下と雅子さま。陛下が腰をかがめ、両手で優しく女性の右手を包み込まれると、女性はうれしそうにほほ笑んでいた。

「天皇皇后両陛下は2月13日、皇居・宮殿で厚生労働大臣表彰の障害者自立更生者やその支援者たちと面会されました。両陛下は、出席者のもとに歩み寄り、着席したままお話しするよう促されたのです。

あくまで“国民ファースト”を貫く、お二人のお気持ちが伝わってきました。この1週間前の2月6日、宮内庁は、天皇陛下のお誕生日である2月23日に一般参賀を開催すると発表しました。陛下と雅子さまが熟慮を重ねたうえ、決断されたのです」(皇室担当記者)

1月1日、能登半島地震が発生し、翌日に予定されていた新年一般参賀は中止となった。

「一般参賀のために、すでに上京していた人々もいたと思われます。そのため陛下が参賀者の前で述べられるお言葉を練り直して開催することも検討されていたそうですが、中止となりました。

地震発生以来、天皇陛下と雅子さまは被災地に関するニュースや情報を常に注視し、胸を痛められています。震災前はご一家が、4年ぶりに大相撲初場所をご覧になる計画もあったそうですが、すぐにとりやめられました」(前出・皇室担当記者)

震災発生からすでに50日たつが、上下水道が復旧していない地域もあり、倒壊したまま撤去されていない建物も多い。石川県珠洲市の被災者はこう語る。

「珠洲市はほとんど壊滅状態です。住民にはお年寄りが多く、自宅の片づけもままならない状況です。宿泊場所もないので、ボランティアの方たちも、金沢市などから日帰りで通っている方が多いのです。水道が復旧していないため、自宅にいる人もトイレが使えず困っていると思います」

元宮内庁職員で皇室解説者の山下晋司さんは次のように語る。

「天皇誕生日一般参賀は国民が皇居に参入し、天皇陛下に直接、祝意を表することができる貴重な機会です。宮内庁は国民の希望を踏まえて、両陛下や皇族方にお出ましをお願いしています。

関係各所の準備もありますので、通常は3週間以上前に宮内庁が開催を発表していますが、今回は17日前でした。恐らく、両陛下も非常に悩まれ、ギリギリまで様子を見ておられたのでしょう」

異例だったのは発表のタイミングばかりではない。

「一般参賀では、『天皇陛下万歳!』などと大きな声を出す参賀者もいますが、両陛下のお気持ちを踏まえ、当日はアナウンスなどにより、大声を控えてもらうことになっています」(前出・皇室担当記者)

一般参賀開催をもっとも躊躇されていたのは、天皇陛下でいらしたという。宮内庁関係者によれば、

「陛下は“震災で多数の犠牲者が出てしまい、被災地で多くの人々が困難な生活を余儀なくされている状況で、自分の誕生日を祝ってもらうのは忍びない”と、強く中止を望まれていたそうです。いっぽうで、皇室の方々を拝見できる一般参賀を楽しみにしている人々もいるため、早々に中止を決定することもできませんでした」

事態が動いたのは、1月末のことだった。

「すでに開催まで1カ月を切っていました。雅子さまが陛下のご説得を始められたと聞いています。“お祝いのためだけに集まっていただくということではなく、皆さんに被災地へのお気持ちを示される機会にすればよいのではないでしょうか”とーー」

■「今やるべきことに全力を注ぐ」

これまでも天皇陛下が、国民に向けて肉声で呼びかけられることがあった。たとえば東日本大震災後、’13年1月の新年一般参賀で上皇さまは、こう述べられている。

「これからも皆で被災地に心を寄せて過ごしていきたいと思います。本年が国民一人びとりにとり、少しでもよい年となるよう願っています」

前出の宮内庁関係者が続ける。

「宮内庁長官は8日の会見で、一般参賀開催について『本当に悩んだ』と語っています。これは両陛下のお気持ちを代弁したものなのです。

天皇陛下と雅子さまの真剣なお話し合いは6日間にも及んだそうです。宮内庁長官は会見で『(能登半島地震からの)復旧、復興に向けて前向きに生きていこうとする姿に接し、現地にエールを送るために、われわれが今やるべきことに全力を注ぐという考えにいたった』とも話していますが、これがまさしく両陛下のご結論なのです」

一般参賀開催を発表した2月6日にも天皇皇后両陛下と愛子さまは、気象庁長官と防災担当の内閣府政策統括官から、被害状況や復旧・復興対策などについて詳細な説明を聞かれた。

2月23日に64歳となられる天皇陛下は、能登半島のみならず日本全国を包み込むような、メッセージを送られる。

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