《群馬県民とともに ぐんまちゃん誕生30年》①優しく寄り添う存在に 作者の願い「群馬の魅力伝え続けて」

ぐんまちゃんの人形を手にする中嶋史子さん。県職員退職後はイラストレーターなどとして活動している

 群馬県のマスコット「ぐんまちゃん」は22日、1994年の誕生から30年の節目を迎えた。かわいらしい仕草と表情で愛され、ゆるキャラグランプリ優勝やアニメ化などを通じ、群馬県のPRに貢献してきた。30年の歩みを振り返るとともに、今後を展望し課題を考える。

作者の思い

 「わが子のような存在。県民の皆さんがここまで大きくしてくれた。これからも群馬の魅力を一生懸命伝える役割を果たしてもらえたら」。ぐんまちゃん作者の中嶋史子さん(57)=前橋市=はこう話す。今後も県内外で愛され、親しまれる存在であり続けることが、たった一つの願いだ。

 94年秋、群馬県で開かれた「ゆうあいピック群馬大会(第3回全国知的障害者スポーツ大会)」。公式マスコットキャラクターの公募に、県職員だった中嶋さんが個人で応募したのが始まりだった。学生時代にデザイン事務所で働いていた経験があり、大会関係者から声がかかったという。

 初めて作画用のパソコンを買い、仕事終わりに毎晩2~3時間デザインし続けた。憧れの漫画家、故・馬場のぼるさんが制作した「初代ぐんまちゃん」を踏まえ、大会に参加する子どもたちをはじめ、多くの世代にかわいがってもらえるよう意識した。目、鼻の形や位置、全体の色―。何度も何度も書き直した。

 スポーツ大会には順位や勝敗が付きもの。だからこそ、中嶋さんは「つらく、悔しい思いをしている誰かに、そっと寄り添える存在をイメージした。誰に対しても『頑張ったね』『格好良かったよ』って優しく語りかける存在であってほしかった」と力を込める。

 生まれたのが「ゆうまちゃん」だった。つぶらな瞳におちょぼ口、何かを言いかけているような表情。当時、県に提出した原画には今と同じ要素がうかがえる。マスコットに採用され、開会式に着ぐるみが登場したり、看板やスタッフのジャンパーなどを飾ったりして大会を盛り上げた。

 終了後も、参加した子どもやファンになった人から関連グッズを求める電話が県庁に殺到した。94年10月20日付の上毛新聞1面には「『ゆうまちゃん』欲しい ゆうあいピック閉幕後も人気」との記事が掲載されている。中嶋さんは「頑張ったかいがあったと思った」と振り返る。

 時は流れて2008年、東京・銀座に県のアンテナショップ「ぐんまちゃん家(ち)」が開設されたことを機に2代目ぐんまちゃんを襲名した。12年に県の宣伝部長に就任。14年にゆるキャラグランプリで優勝し、全国で話題を集めた。

 21年と23年には県が中嶋さん監修のもとでアニメ作品を制作。昨夏は海外での認知度向上を目指し、米国でプロモーション活動が行われるなど人気を背景に活躍の場を広げ、群馬県のPR役を担い続けている。

 中嶋さんは言う。「大会だけで終わるはずのキャラクターを、県民がかわいがって大事にしてくれた。これからもぐんまちゃんを通じて『群馬って良いところだよね』と多くの人に思ってもらえたらうれしい」

中嶋さんが1993年の県公募に応募した際の原画

© 株式会社上毛新聞社