町田・黒田監督の下でさらに成長を加速。J1でどこまでやれるか――その先の“大舞台”に繋げるために【パリの灯は見えたか|vol.6 藤尾翔太】

育成に定評があるリップエースSCを経て、C大阪のU-18チームに加入した藤尾翔太は、高校2年生でU-23チームの一員としてJ3でプロデビューを飾った。

桜色のユニホームを身にまとい、活躍する姿を夢見ていたストライカーは2020年シーズンから正式にトップチームへ加入。プロとして大きな一歩を踏み出したが、ここからが苦難の連続だった。慣れ親しんだ大阪を離れ、武者修行を積む日々。1年毎にチームが変わるなかで経験を重ね、3年の月日を経てJ2でトップクラスの点取り屋として名を馳せるまでに成長を遂げた。

Jでの活躍は自身の評価を高め、今夏のパリ五輪出場を目ざすU-23日本代表でも立ち上げ当初から主軸として活躍。大岩剛監督の信頼を掴み、ストライカーだけではなく右ウイングでもプレーできる汎用性を買われて欠かせない存在になりつつある。

五輪のアジア最終予選を兼ねたU-23アジアカップまで約2か月。本大会までは5か月しかない。昨季は期限付き移籍で加わり、今季から初のJ1に挑む町田に完全移籍を果たしたストライカーは、今何を思っているのだろうか。

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2021年の6月12日。藤尾にとって、新たな挑戦をスタートさせる日になった。慣れ親しんだC大阪を離れ、水戸に育成型期限付き移籍したからだ。

「もっと成長したい。なので、苦労したという認識がないんです。何がターニングポイントになったかは分からないけど、気が付いたら仲間のために戦う考えを持つようになっていましたね」

ハードワークを求める秋葉忠宏監督(現・清水監督)の下でFWを務め、ゴール以外の役割を理解し、試合に出場するなかで多くのモノを掴み取った。

「試合に出ている選手たちからの信頼はもちろん、監督が何を求めていて、僕自身は何をすべきなのか。僕はフォワードなのでもちろんゴールを取らなあかんけど、それ以外のプレーでチームをどうすれば助けられるのか。どう動けば助かるのか。ここで2度追いしたら、味方が助かるなとか。そういうのは徐々に分かってきた。そこは本当に考えてやってきた」

チームのために戦う意識を高めつつ、もともと持っていたFWとしての嗅覚をより研ぎ澄ました2021年シーズンは、自身初のJ2の舞台で躍動。22試合に出場し、8ゴールをマークした。

「ハードワークは絶対に必要だし、当たり前のこと。それは必要な考え方で、そこは秋葉さんから本当に学ばせてもらった。戦術面でもボールの引き出し方や、ボールを握りながらゴール前に迫る際に、サイドだけではなく中央で崩すパターンも多かったので、プレーの幅を増やしてもらう機会になったんです」

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J2の舞台で結果を残した藤尾は、2022年シーズンから徳島に育成型期限付き移籍で加入する。もちろん、C大阪でチャレンジする選択肢がなかったわけではない。しかし、もう1度外に出る決断を下したのは、自身の成長を考えてのチャレンジだった。

「水戸はガンガン前にいくサッカーだったけど、徳島はボールを保持してゴールに迫っていくスタイル。それまでの僕はボールを受ける回数が少なく、ボールに関わる回数が多くなかったので、(受ける)タイミングなどを学ぶ必要があると感じていた。徳島のようなスタイルは今まで経験していなかったので、徳島行きを決めたんです」

もっと上に行きたい――。新たな戦術に触れることを求めた一方で、外国籍監督の下で本格的に初めてプレーできる環境も藤尾にとっては大きなポイントだった。

「(ダニエル・)ポヤトス監督は、感情がすごく出るタイプ。試合に逆転負けしたりすると、思いっきり悔しさを出す。ポヤトスさんはスペイン人でポゼッションスタイルを志向する指揮官で、そういうところも自分が成長するうえで大事だし、勉強になると思っていた。なので、すごくいい経験ができたと思います」

シーズン開幕から出場機会を掴み、ストライカーとして起用されただけでなく、4−3−3の右ウイングでもプレーした。しかし、最初から新たな戦術に馴染めたわけではない。藤尾は言う。

「実際に最初の頃はボールがなかなかこなかった。縦パスが入ってくる回数も少なかったですし、得点パターンもクロスに頭で合わせる形が多かったので」

戦術を理解するまでに時間はかかった。ボールを引き出す動きやポジショニング、新たな引き出しを増やす作業は簡単ではなかったが、後半戦を迎える頃にはチームにフィット。「自信になった」という言葉通り、1年を通じてピッチに立ったことでプレーの幅が広がった。

「水戸には夏前に加入したので、自分のことを知ってもらう作業が難しかった。だけど、徳島では1年間プレーしたので、徐々に僕の特徴を理解してくれる人が多くなったので、年間を通じて一つのクラブに在籍できたのも良かった」

手応えを得て、迎えた2023年シーズン。再び藤尾は岐路に立たされる。C大阪に戻るのか、それともチャレンジを続けるのか。藤尾が出した答えは古巣への帰還だった。

「戻る選択肢もあったし、ほかに行く選択肢もあった。ほかクラブに行くとしてもJ1を考えていたのですが、C大阪から戻ってきて欲しいと言われたことが大きかった」

さあここから――。という状況だったのだが、開幕から3試合連続でベンチ外に。このタイミングで外に出る決断を下した。

「フォワードで勝負しようと思っていたけど、僕の実力不足で試合に絡めなかったんです。自分の中でこれではあかんと思い、できるだけ早めに決断しようと思ったんです。チームのことも大事だけど、自分の人生でもある。僕が成長できる環境を選ぼうというところで町田行きを決めました」

もちろん、葛藤はあった。リーグ開幕直後の移籍。逃げるようにチームを去っていいのか自問自答を繰り返したという。

「悩みました。こんなにすぐに外に出てもいいのか。もうちょっと勝負してもいいんやないか。それでもダメだったら出ていこうとか。でも僕の中で、試合に出られずにずっと練習をしているよりも、J2で試合に出て自分の価値を証明したほうが、成長につながるし、ステップアップにもなると思った」

成長のために選んだ新たな環境。もちろん、1年後に控えていたパリ五輪を考えての移籍でもあった。

「オリンピックを目ざす選手たちがみんな試合に出ているなかで、自分だけ試合に出ていないとなれば、コンディションも上がらないし、周りが成長しても自分は止まったまま。それは良くないという思いがかなりあった」

そうした想いを持って向かった先はJ2の町田。青森山田高を常勝軍団に育て上げた黒田剛監督の下で、さらなる成長を目ざした。この決断が藤尾にとって、成長スピードを加速させる契機になる。

「強度が高い。去年までも強度を感じながらプレーしていたけど、また違うモノがあったんです。パリ五輪世代のチームで海外遠征した際にオランダやイングランドといった強豪国と戦いましたが、行く度に強度を感じるんです。

でも、簡単ではない。ユース時代から海外遠征を経験して、そこで得たモノを踏まえて高い意識を持とうと心がけるんですけど、続くのは1、2週間ぐらい。環境が違うので、時間が経つにつれて日本の環境に慣れてしまう。

忘れた頃にまた海外に行って、気持ちを新たにするけど、また忘れるサイクルでしたから。その経験を踏まえて継続しないといけないけど、昨季は自分の中でちょっとずつ変わってきて、うまくいくようになったんです」

そうした強度の高さを忘れさせない環境が町田にはあった。3月に加入してからミッチェル・デュークやエリキの影に隠れて途中出場が続いたが、徐々に黒田監督が求めているスタイルを体現できるようになる。

そして、迎えた7月9日の東京V戦。2023年シーズンで4度目の先発に抜擢されると、開始2分にこぼれ球を押し込んで先制点をもぎ取った。最終的にチームは2−2でドローに終わったが、大きな手応えを感じる一戦だったという。

「黒田さんがやりたいサッカーを理解し始めていたタイミングで、うまく順応できたと感じられた。高体連に近いサッカーで、強度が求められるだけではなく、プレーの連続性も必要になる。ボールが来る回数も多いし、センターバックから難しいボールがくることも多いので、それを収められるようになれば、自分の武器になると思ったので意識的に頑張りましたね」

確かな手応えを得たなかで、8月19日に行なわれた31節・清水戦でエリキが負傷。左膝前十字靭帯断裂、外側半月板損傷、内側側副靱帯損傷の重症での長期離脱も追い風となり、チームに欠かせないプレーヤーとしてチームのJ2優勝とJ1昇格に貢献。10月のU-22代表遠征で負傷したため、1か月ほどの離脱を余儀なくされたが、33試合で8ゴールの活躍は十分に胸を張れるモノだった。

そして、再び頭を悩ませるオフがやってくる。C大阪に戻るか――。町田に完全移籍を果たすのか――。

2つの選択肢があったなかで、「ボールを受ける回数は多いので成長できると思ったし、僕自身としても得点という数字をしっかり残せると思ったので覚悟を決めた」と町田に残る決断をした。

今季から正式に町田の一員となり、J1の舞台で戦う。離脱中のエリキの復帰は夏頃が見込まれており、藤尾にかかる期待は大きい。そして何より、パリ五輪出場という最大の目標も目の前に迫っている。

「パリ五輪に出場できれば成長できるはずだし、ステップアップの機会にもなる。そこはずっと意識してやってきた」という言葉からも決意が見て取れる。

2022年3月のチーム発足当初から継続してメンバーに招集され、大岩監督からはストライカーだけではなく右ウイングとしても期待をかけられている。最初はメンバー入りできるかのボーダーライン上におり、チーム最初の海外遠征となった2022年3月のドバイカップでは決定機を何度も外すなど、決して褒められるようなパフォーマンスではなかった。

「正直、何回打っても入る気がしない。引きずっても仕方がないと思って、次にきたチャンスで決められればいいと思っていたけど、やっぱり大会後の気持ちは悔しさしかなかった」

歯がゆさをバネに再び立ち上がり、同年6月のU-23アジアカップでは3位決定戦(オーストラリア/3−0)で大会初ゴールを挙げると、同年9月のヨーロッパ遠征ではイタリア戦(1−1)で同点弾を決めた。昨季もコンスタントに代表戦で得点を重ね、今ではチームに欠かせない存在になっている。だが、藤尾は満足してない。

「同年代の細谷真大がA代表に招集された。ずっと一緒にプレーしているフォワードでU-23代表でもレギュラーで、J1でも先に結果を残している。そこはやっぱり意識しますから」

“代表のエースストライカーは俺だ”と言わんばかりに、メラメラと闘志を燃やしている男の挑戦はまだ始まったばかり。そのためにまずは町田で結果を残すしかない。

J1でどこまでやれるのか。3年間の積み重ねを証明し、その先のパリ五輪に繋げるためにも、上だけを見て藤尾は今日もボールを蹴り続ける。

※このシリーズ了

取材・文●松尾祐希(サッカーライター)

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