ロシア、戦争捕虜を処刑か ウクライナ軍が撤退したアウディイウカ

アブドゥジャリル・アブドゥラスロフ、BBCニュース(キーウ)

ウクライナ軍は17日、東部の要衝アウディイウカから部隊を撤退させたと発表した。ロシア占領下のドネツクの玄関口に位置するアウディイウカで、ウクライナ軍はこの数カ月間、ロシアの猛攻に必死に抵抗していた。

アウディイウカ占領は、ロシアにとって戦略的かつ象徴的な勝利だ。州都ドネツクの守備を強化するとともに、ウクライナが維持する地域へのさらなる侵攻の道を切り開くことにもなりうる。

ウクライナのオレクサンドル・シルスキー総司令官は、アウディイウカからの撤退命令は兵士の命を守るためだと説明した。

こうしたなか、アウディイウカでの戦争犯罪の可能性を示す証拠が見つかっている。占領後に遺体で発見された6人の兵士の親族によれば、兵士たちは降伏後に処刑されたという。ウクライナ当局はこの件を調査中だ。一方、ロシア政府はコメントしていない。

BBCはアウディイウカから撤退したウクライナ兵から話を聞いた。兵士らの証言からは、ロシア軍に包囲されたとき、部隊の必死の撤退要求を拒否した無反応な指揮官たちの姿が浮かび上がってくる。

ようやく命令が下ったときには、時すでに遅く、完全に包囲されていたという。

「何をすればいいか分からない」

ロシアの軍事ブロガーがアウディイウカ占領後に投稿した映像には、ロシア軍がこの街を掌握した後に降伏したとみられるウクライナ兵の遺体が映っていた。

イヴァン・ジツニクさん、アンドリイ・ドゥブニツキさん、ゲオルギイ・パヴロフさんの遺体だと、それぞれの家族が確認した。

BBCは3人が死に至った混乱の状況を再現するため、それら家族や、アウディイウカ南東郊に置かれた基地「ゼニス」にいた兵士らと話をした。

兵士らは数週間にわたり、この基地を維持するために激戦を繰り広げた。

その間、完全包囲が差し迫っているとして、司令官に何度も撤退を要請した。しかし、訴えは退けられ、待つように言われたという。

ゼニスにいた兵士たちは2月13日、アウディイウカの別の拠点に撤退するよう命令を受けた。だが、その時にはもう手遅れだった。

撤退命令が下りた時、医療隊員のイヴァン・ジツニクさんは、義きょうだいのドミトリイさんにメッセージを送った。「撤退しろと言われ、後戻りしながら戦うことになった。でも後ろにも(ロシア兵が)いる。どうしていいか分からない」。

ジツニクさんを含めた10人は、ロシアの拠点を攻撃しながら、他の兵士のために安全な道を切り開く役目を追った。ゼニスにいた第110独立機械化旅団の一人、ヴィクトル・ビルヤクさんは、「彼らは最も勇敢な兵士だった」と語った。

しかし、ジツニクさんのグループはロシアの砲弾を受け、引き返すことを余儀なくされた。基地まで戻ることができたのは3人だけだった。

ジツニクさんもその一人だったが、大けがを負い、基地にたどり着く前に倒れた。数時間後、同僚たちが彼を救助しようとした。

ビルヤクさんと他の3人が、ロシア軍の絶え間ない砲火の中、ジツニクさんをストレッチャーに乗せ、運ぼうとした。砲弾が近くに落ち、ビルヤクさんが負傷した。ビルヤクさんは基地に戻り、ゲオルギイ・パヴロフさんが代わりに外に出た。

ビルヤクさんによると、救出チームはその後、自爆型ドローン(無人機)2機の攻撃にあったという。「けが人は最初1人だったが、さらに5人増えた」。

「置いていけ」

兵士らは最終的にゼニスに戻った。ビルヤクさんや兵士の家族によると、兵士らは上官から退避を約束されていたが、それは実現しなかったという。

その後、退避はどうなったのか聞こうと、ジツニクさんは司令官に無線で連絡を取った。すると、救助チームを送るのはリスクが高すぎるため、自力でゼニスを脱出しろと告げられたという。

「負傷者はどうするのか」と聞くと、「置いていけ」と返ってきた。

ビルヤクさんは、「みんながこの会話を聞いて、凍り付いた」と振り返った。

夜になり、ビルヤクさんを含む歩ける兵士たちは、負傷した仲間を基地に置いて出発した。

「攻撃が続く中、暗闇でけが人を運ぶのは不可能だった」と、ビルヤクさんは語った。

兵士たちは少人数のグループに分かれて撤退した。ビルヤクさんによると、「敵は迫撃砲、戦車、大砲、突撃ドローンで一気に攻撃してきた」という。ビルヤクさんの背後にいたグループは砲弾を受け、誰も助からなかった。

ビルヤクさんたちがアウディイウカの主要拠点にたどり着こうとする一方、ゼニスには6人が残された。

そのうち5人は負傷して歩けなかった。医療隊員のイヴァン・ジツニクさん、狙撃手のゲオルギイ・パヴロフさん、対戦車兵のアンドリイ・ドゥブニツキさんの3人は、のちにロシア人ブロガーが投稿した映像に遺体となって映っているのが確認された。

ミコラ・サヴォシクさんは負傷していなかったが、仲間と共に基地にとどまった。ビルヤクさんによると、サヴォシクさんは戦争捕虜として捕らえられると考えていたという。

第110独立機械化旅団はフェイスブックのページで、ゼニスが完全に包囲されたため、ウクライナ側は兵士を支援しようと、「捕虜交換について協議している組織と連絡を取っていた」と説明した。

ロシア側はウクライナの負傷兵を退避させ、後に交換することに同意したとされる。

この意向は、ロシア軍が到着する数時間前にゼニスにいたジツニクさんらに伝えられた。抵抗姿勢を示さずに自分の命を守れと、指示が出された。

しかしジツニクさんは電話で義きょうだいに、ロシア人が「負傷者を生かしておく」とは思えないと言ったという。

「そこにいるのか?」

2月15日午前11時15分ごろ、インナ・パヴロヴァさんは息子のゲオルギイ・パヴロフさんからメッセージを受け取った。「ロシア人は自分たちがここで孤立していることを知っている」。これ以降、パブロヴァさんは息子から連絡を受けていない。

同じ時間帯、ジツニクさんは義きょうだいのドミトリイさんにビデオ通話で連絡した。会話の途中でロシア兵が建物内に入ってきた。ドミトリイさんが録画した通話には、「銃を置け」という声が入っていた。

「そこにいるのか?」とドミトリイさんが尋ねると、ジツニクさんは静かに「そうだ」と答えた。この時点でドミトリイさんは録画を止めたが、通話はさらに数分続いた。

「ひげ面の男が見えました」と、ドミトリイさんは話す。

「イヴァンに、電話を彼に渡すよう言いました。殺さないでくれと頼もうと思ったんです。でも『電話を切れ』という声が聞こえました」

ジツニクさんの家族は、ジツニクさんを含む兵士たちが捕虜になったと確信していた。

「彼らは抵抗しなかった」と、ジツニクさんの女きょうだいは話した。

「軍上層部が招いた事態」

2月17日、シルスキー総司令官は「兵士たちの命を守るため」にアウディイウカからの全面撤退を指示した。しかし、投降した6人を含む多くの兵士にとって、これは手遅れだった。

翌日、ロシアの関係筋が、ウクライナ兵の遺体が映った動画をソーシャルメディアに投稿した。

ジツニクさん、パヴロフさん、そしてドゥブニツキさんの家族は、この動画に映っているのが彼らであることは疑いがないと言った。

インナ・パヴロヴァさんは、「ロシア人に殺されたんです」と語った。「でも、それを招いたのは軍上層部です」

(英語記事 Avdiivka: Russia accused of executing prisoners of war after Ukraine withdraws

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