平成芭蕉の「令和の旅指南」⑨ 「忠臣蔵」で有名な播州赤穂は「塩の国」

赤穂事件で知られる「塩の国」播州赤穂

有名な赤穂浪士討ち入りの「忠臣蔵」で知られる赤穂事件、すなわち江戸城「松の廊下」で赤穂藩主浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が高家の吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)を切りつけた刃傷沙汰の原因は、「塩の国」入浜塩田の確執にあったという説もあります。

人が生きていく上で必要なものとして、「空気」と「水」がまず思い浮かびますが、実際には「塩」も必要不可欠なものです。赤穂城を築いた浅野長直の時代、千種(ちくさ)川流域で大規模な入浜塩田の干拓が進められ、浅野家三代で約100ヘクタールの入浜塩田による塩づくりが行われましたが、これが塩焚き煙たなびく「塩の国」の始まりです。

この赤穂には瀬戸内海から生み出される塩とともに歩んできた歴史と文化が蓄積されており、“「日本第一」の塩を産したまち 播州赤穂”のストーリーは日本遺産に認定されています。

その赤穂の入浜塩田は、千種川を挟んで東浜塩田と西浜塩田に分かれており、東浜では苦汁(にがり)を含む「差塩(さししお)」、西浜では苦汁を除いた上品な味の「真塩(ましお)」を生産していました。

「日本第一」の塩を産したまち 播州赤穂

現在、東浜塩田東端に位置する御崎の温泉街がある岬は、多島美の瀬戸内海が一望でき、「日本の夕日百選」にも選ばれ、「赤穂のエンジェルロード」など風光明媚な景勝地となっています。そしてこの地に鎮座する伊和都比売(いわつひめ)神社は、岬にあるということで「航海安全」と「大漁祈願」の神社でしたが、最近では「縁結び」または「恋人を得る」というご利益が知られるようになりました。

鳥居の左側(東側)には恋人の聖地として絶景を眺めることが出来る「一望の席」やおしゃれなカフェ「海と坂と」のある「きらきら坂」もあり、近年では食や縁結びを求める若者の人気を集めています。

しかし、江戸時代に塩の一大生産地として栄えた播州赤穂には、「日本第一の塩を産したまち」として、塩田・塩問屋・塩廻船業で財を成した田淵家の庭園など、市内各地にその繁栄を体感できる数々の歴史文化遺産が数多く残されています。

赤穂海浜公園「塩の国」と「赤穂市立海洋科学館」

赤穂海浜公園「塩の国」

兵庫県立赤穂海浜公園内にある「塩の国」では揚浜式塩田、入浜塩田、流下式塩田などが復元されており、現在でも伝統的な方法を用いた「瀬戸内海の塩づくり」について学べるほか、実際に塩づくりも体験できます。

復元された入浜塩田には、海水をコントロールする防潮堤と「水尾(みお)」と呼ばれる水路も設けられていましたが、これは干満の時間に関係なく効率的に作業が行えるシステムです。しかし、この入浜塩田は、昭和30年代に枝条架(しじょうか)を利用した流下式塩田に取って替わられました。

また、隣接する「赤穂市立海洋科学館」では、塩づくりの仕組みや「いかに効率よく海水を濃縮して鹹水(かんすい)を採り、煮詰めるか」という技術革新の歴史も知ることができます。

赤穂城跡と「赤穂市立歴史博物館」

「忠臣蔵」で知られる赤穂城

赤穂城は「元禄赤穂事件」で有名ですが、その縄張りは赤穂浅野家初代長直の時代、浅野家に仕えた甲州流兵学者の近藤正純によって成されました。そして、築城中には軍学者の山鹿素行が助言し、二の丸門周辺を手直ししたと言われています。

しかし、赤穂城跡で興味深いのは池田家が治めた時代における旧赤穂上水道の遺構です。赤穂城は海岸に近くて堀の水や井戸水には海水が混じり飲用に適さなかったため、熊見川(現・千種川)の上流に井関と水路を建設し、上水道を敷設して城内に給水していたのです。

この「旧赤穂上水道」に関しては、赤穂城跡に隣接する「赤穂市立歴史博物館」に展示されていました。この博物館はかつての米蔵を再現した建物で、「塩と義士の館」と呼ばれるだけあって、人形浄瑠璃・歌舞伎の演目の一つ『仮名手本忠臣蔵』(元禄赤穂事件)の紹介と赤穂の製塩の貴重な史料を中心に「赤穂の塩」「赤穂の城と城下町」「赤穂義士」「旧赤穂上水道」の4つをメインテーマとしています。

特に常設展示の一つである「赤穂の塩」では、国指定重要有形民俗文化財である製塩道具が数多く展示されており、塩づくりの歴史を系統的に見ることができ、塩づくりが製塩を生業にしてきた人々の生活文化にも深く根付いていたことが理解できました。

米蔵を再現した歴史博物館「塩と義士の館」## 天然の塩と健康療法「海水浴」

今回の日本遺産の旅では、赤穂はやはり瀬戸内海の塩とともに歩んできた町であると実感すると同時に、天然の「塩」は生命にとって不可欠な調味料としてだけでなく、健康上も大いに取り入れるべきだと思いました。

私は旅行中に健康五浴として「日光浴」「森林浴」「温泉浴」「イオン浴」そして「海水浴(潮風浴)」を提案してきましたが、大正天皇や明治の元勲が静養された二見や大磯の「海水浴」は、やはり究極の健康療法であったと再認識しました。

寄稿者 平成芭蕉こと黒田尚嗣(くろだ・なおつぐ)クラブツーリズム㈱テーマ旅行部顧問/(一社)日本遺産普及協会代表監事

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