【漫画×論評 TODAI COMINTARY】強くなりたい? スーパー4歳児コタロー 津村マミ『コタローは1人暮らし』

今や日本が世界に誇る文化となった漫画。東大新聞編集部員がぜひ読んでほしいとおすすめする漫画作品(Comics)を、独自の視点を交え、論評(Commentary)という形(Comintary)でお届けする本企画。今回は、『コタローは1人暮らし』(津村マミ)を取り上げます。

強くなりたい? スーパー4歳児コタロー

「わらわはひとりでこの隣を借りておるのだ」。

風呂なし六畳一間の「アパートの清水」に引っ越してきたコタローは、料理も掃除も洗濯もこなす圧倒的生活力の持ち主。しかしその年齢は、なんと4歳だ。粗品のティッシュとともに堂々たる引越しのあいさつを受けた隣室の売れない漫画家・狩野進(かりのしん)は、あっけに取られながらもコタローのことを気にし始める。アパートの住人は、離婚して息子に面会を拒否されている田丸など、ちょっと不安な大人たちばかり。そこに街の人々も加わって、不思議な日常が回り始める。

アニメのヒーローをまねた「殿様語」を使い、腰に提げるは250円の刀。コメディタッチで描かれるコタローの姿は、読み進めるうちに「強く」あるための武装だと分かる。父のDVで親が離婚した後、母に置き去りにされ、児童養護施設に父が押しかけたことで施設を離れたコタロー。しかし「強く」なりたいのは、父から身を守るためではない。「わらわが弱き者でなければ、わらわの父上は“悪者”にならなかったはずぞ」とコタローは言い切る。「ゆえにわらわが“強き者”になれば、また父上と住めるのだ」

これが本作の問題提起だ。コタローは自問する。鬱屈(うっくつ)とした環境にいても、もし一分の隙もなく「強い」子なら、環境の問題を解決し、不和を調停しながらうまくやっていけるんじゃないか? 周囲を幸せにできなかったのは「弱い」自分のせいなんじゃないか?

コタローの極端な自責の念は、物語の構造によって改めて問い直されている。「強い」子とはまさにコタローだ。圧倒的な生活力で一人暮らしをこなし、鋭い洞察力で街の住人の問題を解決してしまうスーパー4歳児は、すでにありえないほど強い。苦境にある子どもが彼のように強く、優しく、賢ければ、その子どもを取り巻く世界はどうなるだろうかという仮想を、本作は描いてみせているように思える。

では、そんな仮想を描く意図は何だろう。苦境にいる子どもはコタローのようであるべきなのか? 本作はそれを否定する。子どもが環境のために強くなり、誰かの幸せのために聡(さと)く優しくある必要はない。それが本作の答えであり、隣人の狩野をはじめとする住人たちの信念であるようだ。彼らと笑ったり泣いたりする中で、強さを追い求める4歳児・コタローはどんな結論に達するのか? 「アパートの清水」の住人になった気分で見守りたい、笑いあり涙ありの日常劇だ。【広】

津村マミ『コタローは1人暮らし』小学館、税込715円。Ⓒ津村マミ/小学館

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