坂本龍馬が暗殺される間際に、食べ損なった大好物

幕末の風雲児、坂本龍馬

歴史ドラマにも度々登場し、「尊敬する偉人」ランキングでも毎回1.2を争うほどの人気っぷりです。

今回の記事ではそんな龍馬が、死ぬ間際に食べそこなったある料理について紹介していきます。

目次

坂本龍馬の生い立ち

画像 : 坂本龍馬 public domain

坂本龍馬は、天保6年(1835年)、土佐藩の町人郷士・坂本家の二男として生まれました。五人兄弟の末っ子に当たります。

28歳で脱藩した後は志士として活動し、勝海舟西郷隆盛との出会いを経て、後の海援隊にあたる亀山社中を結成。
その後、薩摩藩と長州藩の仲介役として貿易業などを行います。

そして当時、犬猿の仲だった両藩に同盟を結ばせ、倒幕や明治維新に大きく貢献しました。(※ここではあくまで通説です)

1867年(慶応3年)に大政奉還がなされ新時代が幕を開けるも、そのわずか1ヶ月後に何者かに暗殺され、33歳という短い生涯を終えたのでした。

龍馬が食べそこなった大好物とは

慶応3年(1867年)11月15日、この日の京都の夜は寒さがひときわ厳しかったと言います。
前日から断続的に降っていた雨は夜にはすっかりあがっており、その日は満月でした。

画像 : 坂本龍馬 public domain

京都、近江屋の2階では、数日前から風邪を引いていた龍馬は真綿の胴着をかぶり、さらに綿入れを重ね着してその上に黒羽二重の羽織をはおる、とかなり厚着をして火鉢に当たっていました。

火鉢に当たっていた面子は、他に陸援隊の中岡慎太郎(龍馬と同じく土佐藩脱藩)や、土佐藩士の岡本健三郎も居ましたが、岡本は用事のために使いの峰吉と共に外出していました。

峰吉の用向きは、肉屋でシャモ肉を仕入れること。
龍馬はシャモ鍋が大の好物で、当日もシャモ鍋を食べようとしていたのです。

岡本たちが外に出た直後、「十津川の郷士だ」と名乗る者の声が階下で響き渡ります。

「坂本先生にお会いしたい。取り次いでいただけるか」

惨劇の始まりです。
刺客たちは、案内役の藤吉をいきなり斬りつけました。

そして騒ぎを聞きつけた龍馬が一言大喝「ほたえな!」
土佐弁で「騒ぐな」という意味です。

龍馬たちがいる2階へと押し入った刺客たちは3人。

「こなくそ!」と叫びながら、中岡慎太郎を滅多切りにしました。

このとき龍馬も中岡も帯刀しておらず、龍馬は床の間にあった刀を手に取りましたが、抜刀することができずに鞘(さや)ごと相手の刃を受けてしまいます。

龍馬は厚着だったため思うように応戦が適わず、刃を防ぎきることができません。
鞘は割れ、龍馬は額を深く斬られ、その他の場所も斬りつけられて、まもなく絶命したのです。

現場の惨状を最初に見たのは、シャモ肉をぶら下げて帰ってきた峰吉でした。
こうしてシャモ鍋は、龍馬の口に永遠に入らないものとなったのです。

画像 : 中岡慎太郎 publicdomain

ちなみに同席していた中岡慎太郎は、龍馬と共に襲われ重傷を負ったものの、かろうじて息がありました。

全身傷だらけでしたが、その後2日間は意識があった中岡慎太郎は、土佐藩士の谷干城に近江屋で襲撃を受けた際の様子を語ったと言われています。

龍馬が食べようとしていたシャモ鍋ってどんな料理?

龍馬を暗殺した人物については未だに分かっておらず、真相は闇の中。
歴史研究家・歴史愛好家たちの間で「誰が下手人か?」という推理が繰り広げられています。

はっきりと言えることは、現場にはシャモ鍋が残っていたこと。
峰吉が肉を買いに出かけていたことから、おそらく調理中だったか肉が足りなかったことが推測できます。

龍馬が好んで食べたと言われているシャモ鍋とは、一体どんな料理だったのでしょうか。

画像 : 軍鶏鍋(しゃも鍋) イメージ

土佐で食べられているシャモ鍋は土鍋ではなく、鉄鍋を使います。

一般的には初めにこんにゃくを鍋底に敷いて、たまねぎ、ネギ、しいたけなどの野菜を加えて、砂糖と醤油で味を付けたらシャモを投入して甘辛く煮ます。

そして煮込んでいるうちに水気が少なくなってきたら、水ではなく酒を加え、食べる際には溶き卵を付けます。
すき焼きの鶏肉版」とイメージすると分かりやすいでしょう。

ちなみに龍馬は、シャモ鍋にニンニクを入れるのを好んだと言われています。

日々国事に奔走する龍馬にとって、活力の源だったのかもしれません。

おわりに

もし龍馬が自らシャモ肉を買いに行っていれば、歴史は少し違うものになっていた可能性もあります。

龍馬からしても、どうせ襲われるのであれば、せめて最後に好物を食べたかったことでしょう。

参考 :
おーい!竜馬 著:武田 鉄矢、小山 ゆう
竜馬がゆく 著:司馬遼太郎
信長の朝ごはん 龍馬のお弁当 編集:俎倶楽部

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