『ブギウギ』趣里が体現した新たな家族の形 “人に頼ってもいい”という呪縛からの解放

スズ子(趣里)のもとに突如現れた、家政婦の大野晶子(木野花)。クセの強い青森ことば(字幕設定推奨)に思わず面食らう。『ブギウギ』(NHK総合)第101話でスズ子は、同郷のりつ子(菊地凛子)の紹介でやってきた大野に、「試しに1日」と押し切られ、家政婦を雇うことになる。

りつ子が大野を紹介したのは、子育てに追われ仕事にも支障をきたしているスズ子を見兼ねてのことだった。翌朝、スズ子は味噌汁の香りで目を覚ます。朝の6時から食事の準備をしている大野は、物腰の柔らかく、テキパキと仕事ができる家政婦だ。口の周りにご飯粒をつけた愛子(小野美音)、そしてスズ子を優しく叱る姿は、愛子にとっての“祖母”、スズ子にとっては“母”のようでもある。

それでもスズ子はまだ大野を完全には信頼はしていない。それが分かるのは、大野という家政婦を雇ってもまだ愛子を仕事に連れて行こうとしているからだ。マネージャーの山下(近藤芳正)の説得もあり、お嬢こと愛子を大野に預けることに。「マミー!」と潤んだ瞳で手を伸ばす愛子に、スズ子はぐっと堪えて家を出ていく。

この日のスケジュールはタナケン(生瀬勝久)との映画の試写会に、コロンコロンレコードでの打ち合わせ。映画『タナケン、福来のドタバタ夫婦喧嘩』の上映中、愛子を連れてきていたら隣に座らせていたのか、それとも試写室の外で山下が面倒を見ていたのかと想像してしまう。上映後、タナケンからも感謝の言葉を述べられ、作品としては満足のいく出来栄えとなっていたが、スズ子はそれどころではなかった。上映中も頭にあったのは愛子のこと。お昼ご飯は食べられたのか、はしゃいでまた怪我でもしていないか、愛子のことが心配でならなかった。

愛助(水上恒司)の分まで母親である自分が愛子を育てていくと決めたスズ子の気持ちも分かるが、「大丈夫でない」とスズ子の肩に手を置く山下の言うことにも納得する。コロンコロンレコードでの打ち合わせは山下に任せ、スズ子は家に全速力で直帰。この時も脳裏に浮かぶのは愛子の姿。慌てて玄関のドアを開けると、居間では愛子が大野と一緒に洗濯物を畳んでいた。

おそらく、この間は朝から午後イチまでの大体6時間ほど。心配するスズ子に、大野は「愛ちゃんはお利口さんでしたよ」と告げる。「愛ちゃん」呼びもそうだが、すっかり大野に懐いている様子の愛子。張り替えられた障子は、愛子も手伝ったのだと大野は教える。障子の上に貼られた花型の障子。「それ、愛ちゃんが貼ったの」と嬉しそうに伝える愛子に、「女の子だもの、お花の障子は破きませんよ、きっと」と大野。障子に触れ、スズ子はポロポロと涙をこぼしていた。

スズ子が信用できていなかったのは愛子の方だったのかもしれない。それは愛するがあまりに。「ずっと一人で頑張ってきたはんでね。これがらはわだすがいます。頼ってけ」と手を握る大野に、スズ子は「おおきに」と感謝を告げた。にっこりスズ子に抱きつく愛子とスズ子の背中をなでる大野。一人で全てを抱えるのではなく、時には人に頼ってもいい。ようやく呪縛の解けたスズ子にとっての、これもまた新たな家族の形のように思える。

『ブギウギ』は週の終わりにスズ子が新曲をステージで披露するというのが、一つのフォーマットになりつつあったが、今週は「ヘイヘイブギー」を愛子に子守歌として聞かせるにとどまった。それは映画での劇中曲「恋はいつも回り道よ」の歌唱もあってのことのように思えるが、羽鳥善一(草彅剛)が提供した恋の歌「ヘイヘイブギー」を、スズ子は愛子と自分の親子の歌として捉えているということがきちんと生かされる演出であり、「あなたが笑えば私も笑う」という歌詞が第21週全体を包み込んでいる。「ヘイヘイブギー」が、“ブギの女王”としてスズ子の歌手人生を締めくくる曲となるのは、また後の話だ。

(文=渡辺彰浩)

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