『落下の解剖学』さまざまな感情を揺さぶる見事な脚本 真相が読めない極上のミステリー

リアルサウンド映画部の編集スタッフが週替りでお届けする「週末映画館でこれ観よう!」。毎週末にオススメ映画・特集上映をご紹介。今週は、今旅行に行くなら広島に行きたいと考えている橋本が『落下の解剖学』をプッシュします。

■『落下の解剖学』

第76回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞し、第96回アカデミー賞でも5部門にノミネートされている『落下の解剖学』。最初に観て感じたのは、「ありそうでなかった、観たことがないバランス感覚の作品」ということだった。

人里離れた雪山の山荘で、男が転落死した。現場検証により事故と思われたが、次第に作家である妻サンドラ(ザンドラ・ヒュラー)に殺人容疑が向けられる。唯一現場にいたのは、視覚障がいのある11歳の息子ダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)。事件の真相を探る裁判で証人や検事により、夫婦の秘密や嘘が暴露され、登場人物の数だけ真実が映し出される。法廷劇でありながら、愛について、才能について、家族について、さまざまな感情を揺さぶる見事な脚本と美しい映像が印象的だった。

今作は法廷劇となるため、必然的に裁判のシーンは多い。しかし、今まで映画で表現されてきた見せ場のある法廷劇とは少し違うことに不思議な感覚を覚えるだろう。検察側と弁護側が形式的に証言を重ねていくような形ではなく、どちらがより強い説得力があるかをストーリー性をもってアピールする場となっているのだ。どこかオシャレにも見えるセットも相まって、本当の真実を追求するという目的に進んでいるのか、少し疑問になるシーンもあるだろう。しかし、このフランス映画特有の演出こそが、各キャラクターからの視点をより観客に意識させることに成功している。

ザンドラ・ヒュラーによる余白と緩急を使った見事な演技にも注目したい。冒頭の論文執筆のためにインタビューにやって来た女子学生に対し、話を遮り逆に質問をする場面。とても楽しげな雰囲気で会話をしているのだが、のちに裁判では証言としてその会話が利用されてしまったりする。法廷では自身の言葉が他人の誘導により違う解釈をされてしまう出来事が数多く訪れる。その時のヒュラーの表情や立ち振る舞いは、彼女の立ち位置が二転三転する不安や不穏な気持ちを絶妙に表現していた。

息子のダニエルを演じたミロ・マシャド・グラネールの演技も見事だった。視界が極度に制限されているダニエルの状況を見事に表現しており、法廷で明らかになっていく今まで気がつくことがなかった家族のいびつさ、秘密を知り両親の愛が衰えていた真実を受け止めていく。先が読めない展開が続き困惑する表情は、状況を部分的にしか知ることのできない我々観客ともどこかリンクしていた。彼の強い思いが裁判の決着に重要な役割を担うことになるので是非見届けてほしい。

過度な感情表現を抑えて淡々と物語は進んでいく。しかしそれこそが真相が読めない雰囲気を見事に演出しており、そこにキャストの名演が重なり重厚ながら心に響く作品となっている。きっと共感するキャラクターは鑑賞者ひとりひとり違うはず。思わず誰かと語りたくなる一作だ。

(文=橋本光生)

© 株式会社blueprint