『下田聚楽ホテル』の海鮮バイキングは戦慄のオサカナ天国!【絶頂チェーン店】

2024年が明けてから北陸の地震やら週刊誌報道やら暗い話が続いて、もう世界が終わるんじゃないかというぐらい鬱々とした気持ちの日が続いていた。もうダメだ。やめる。外に出たくないと、ノイローゼ気味になってしまい、これはまずいと友人のお坊さんに見てもらうと「それはあなた天中殺だから運気が悪いんだよ」と言われて目からウロコが落ちた。

さらに都合よく、翌日が節分だったので天中殺は見事に明け、晴れた青空のような笑顔になりました。

でもこの鬱々の根本的な原因はおそらく別のところにあったのだ。企画発案から数えれば約10年掛かった書き下ろしの長編ノンフィクション本の執筆。その最大のストレスがやっと終わったのだ。夜中の2時過ぎに最後のゲラを送り、すべての作業が終わった瞬間の、なんともいえない感慨。いつもとはレベルが違う。なんたって10年ものだ。疲れ切った頭と身体はいつも以上に冴えわたり、寝るなんてもったいない。マジでよく頑張った、投げ出さなかったと自分を褒めたたえ、ご褒美は寿司か、ステーキか、焼き肉がええんか、なんて貴族のような店を探してみる。

前回はハングリータイガーで一番高い肉を食ってやった。その前はのどぐろとぶりしゃぶとフグ。だが今回は夜中の2時だ。コロナ禍になってからこっち、やっている店がそもそもない。

現在やっている店で最高の贅沢(ぜいたく)を必死に探した結果、「なか卯」の『天然うにいくら増し増し丼~たっぷりいくら~』2590円に決めた。サブタイトルが付くほどの贅沢品。すぐにチャリに乗ってぶっ飛ばし、真夜中の尿酸値パーティを堪能する。ああ、たっぷりいくら。からあげもつけちゃえ。と、満足して自動精算機で3000円の支払いを済ませた刹那。「俺の10年はたっぷりいくらで事足りてしまうのか」と一粒3カ月の計算式の下に、何かがはじけた。

すぐに家に帰ると、パソコンを開いた。どこでもいい。浄化されない「労(ねぎら)い」という名の怨念をはらしてくれる場所を教えてくれ。

サカナ・サカナ・サカナ 。戦慄のオサカナ天国

その場所は伊豆下田にあった。

「じゅらく」という宿。懐かしい。マリリンモンローもどきの外タレが「じゅらくよ~ん」とCMをやっていたあのリゾートホテルか……と想像したら、一人で行くのもなんだなと、友人を誘って行くことにした。伊豆急に乗っていざ下田。だが、どうやらこの宿は正式には「下田聚楽ホテル」であって、よーん、じゃない方の聚楽らしい。でも正直そんなことはどうでもよい。目的は名物のバイキングなのだ。新鮮なサカナを中心に60品目を越えるというバイキングは、界隈にありがちな「とにかく量だけは納得できる」数の暴力ではなく「どの料理においても、一品料理としてご満足頂ける味わい」を目指したという。某旅行サイトでこの宿を予約した時には平日なのに満室。目当てがバイキングであることは明白で、おそらく全員、下田の美しい夕暮れも、ステキな露天風呂も視界に入っていなかっただろう。

なぜなら夕食は前半・後半の二部制に分けられていたにもかかわらず、開場時間の間際には食堂の中でドラクエ発売時ぐらいの行列ができていたからだ。

全員、やる気だ。「開国してください」「はやく開けてください」と全盛期のペリーのように闘気が満ち満ちている。

やがて時間と同時にギギギと食堂の扉が開くと、人々は一斉に会場になだれ込んだ。アレは何だ。部屋の中央には巨大な舟が鎮座するのが見える。

アッ!

咄嗟に理解する。これは俺の知っているバイキングじゃない。巨大な舟の上にずらりと陳列されたサカナ、金目鯛やワラサ、本マグロにカンパチが尾頭付きで並んでいる見たことのない様におののいた。金田一好きの友人は「サカナの八つ墓村じゃないか!」と絶叫する。確かにどうかしている。取り皿が普通の居酒屋で出てくる舟盛りの舟なのだ。これに好きなだけ魚を獲ってセルフ舟守を作れという。なんというロマン。密漁船かソマリアの海賊のような小さな船が、巨大な舟に横付けしてはあっという間にサカナを獲っていく。あっという間に母船のサカナは空になるが、次から次へと補充されていくから一向に減らない。

伊豆の定番、金目鯛などは毎日あるが、これまで登場したサカナは50種以上! 料金は1泊2食付きで約1万円程度とリーズナブルなのもうれしい。

船の外には、甘エビや漬けマグロ、海鮮ちらしなんてものまであったので、これを船盛りの下地に敷いて米粒より魚の方が多い海鮮丼を作ると、なんだかもう、この世界で出来得る魚に関して、やることはやったなと思えてしまった。

それでもまだ全然終わらせてもらえない。中トロサーモン、ブリやアナゴなどの握り寿司やカニの爪。水槽からはサザエハマグリなどの生きた貝がずらり。ゲソやアユやホタテもあって、テーブルに常設されたコンロで浜焼きもできる。さらにはサーロインやカルビなど名優揃いの焼き肉も可能、天ぷらは揚げたてを運んでくるし、グラタンや中華など一品料理も魅力的。だがおいしいとわかっていても、そこまで手が回らない。

料理の一品一品の質が高いのは間違いない。でも、それ以上がこのシステム。物量と空気感がもう竜宮城のそれだ。こんなに美味(うま)いサカナを力の限り食べさせていただいたことで、食欲の先にあった怨念のようにこびり付いた10年分の“労われたい欲望”はまったく消失した。

腹いっぱいの幸せのまま眠りについた。朝起きたら、翌朝の朝食バイキング。これもまた役者を変えた刺し身バイキングに、干物天国とまったく手を抜いてくれない。帰りの伊豆急では海を見るのも嫌になり、崖を見つめて帰った。

目からだけじゃなく、あらゆる場所からウロコが落ちた魚だらけのバイキング。10年に一度くらいでちょうどいいだろうと思っていたが、船盛りのサカナは旬に応じてこれまで50種以上が登場していると聞いてすでに行きたくなっている。今日もまた予約サイトはほぼ満室だ。次の校了はいつになるのか。本を出す目的が変わってしまいそうだ。

文=村瀬秀信

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