《ウクライナ軍事侵攻2年》「この日本で、一人娘と一緒に見つめる将来」母として、デザイナーとして…

日本での避難生活を続けるフアッションデザイナー ナタリア・ゴロドさんと娘のヴィクトリアさん

ロシアによるウクライナ侵攻から2月24日で2年となる。さかのぼれば、2014年2月20日の“クリミア危機”から、ウクライナの時間は止まっている。

【画像】「一人娘と見つめる将来」母として、デザイナーとして ナタリア・ゴロドさん

多くのウクライナ人は「なぜ、私たちがこのような苦しみを味わなくてはならないのか、なぜ憎しみ合うのか」と問い続けている。
また、日常のささやかな幸せを奪われ、故郷を追われ、「いつか祖国に帰りたい」と願っている。ファッション・デザイナーのナタリア・ゴロドさん(47)もその1人。一人娘のヴィクトリアさん(15)を連れて日本へ逃れてきた。

■647万人がウクライナ国外へ避難

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、2月15日時点で約647万9700人が国外へ避難している。このうち、600万人あまりがポーランドやチェコなどヨーロッパ諸国へ逃れた。
ウクライナ国内で避難する人々は推計で約370万人(2024年1月中旬)。また、ウクライナ国内で生活環境が整っておらず、障がい者、高齢者など、支援を必要としている人が約1460万人に上るという。

ナタリアさんとヴィクトリアさんが日本に避難したのは、2022年6月26日。軍事侵攻から約4か月後のことだった。大阪府内の静かな住宅街の一角に住んでいる。

■気が付けば、娘と二人で…

はじめは爆撃を受けた首都・キーウの隣の都市、イルピンに避難していた。ヴィクトリアさんには持病があり、病院で定期的に治療が必要だったが、それどころではなかった。シェルターに隠れ、段ボール箱の上で寝ていたという。
軍事侵攻勃発、キーウ陥落かとともささやかれた2月24日から10日あまりの間が一番つらく、地獄のような日々だったという。自家用車でキーウから西へ約400キロ離れたルーツクへ。そこからポーランドに避難した2人。
普通なら3時間で済むものが、12時間かかって越境した。心身ともに疲れ切っていた。火炎瓶を作り、車に積み込んだ。民間レベルでは、ロシア側の攻撃に備え、こうした抵抗を示すしかなかった。

「こんなに長く続くとは…」。女手ひとつで育てた娘を連れ、この状況を怖がっているわけにはいかない。

その後、ポーランドから日本へ。気が付けば、ウクライナを離れて1年半が過ぎていた。

■なぜ、悲しい出来事が繰り返されるのか

「もともと2014年から戦争は始まっていた。クリミア半島をロシアに占領されて、ウクライナ人としてとてもショックだったが、キーウに住んでいると、“どこか遠くで起きた出来事”と思っていた。まさかこれほど長期の戦争に発展するとは…」と振り返る。

「ウクライナは、歴史的にロシアとの確執があった」と話すナタリアさん。その一例に挙げたのが「ホロドモール」だ。1932~33年にかけてウクライナで起きた、旧ソ連の最高指導者・スターリンによる計画的な殺戮(さつりく)で、穀物の強制的な徴収や弾圧により、数百万人が餓死したとされる。
「ホロドモールは豊富な資源、有能な芸術家、世界に誇れる文化を生んだ土壌に対する“ねたみ”だったのか、このウクライナを、どうしても自分の手の内に入れたかったのか」。歴史は繰り返すと言われるが、どうして今、このような悲劇が引き起こされたのかと思うと、涙が止まらない。

■これから、という時に

ナタリアさんは2013年にウクライナでデザインスタジオを開いた。そして自らがプロデュースするブランドを立ち上げ、ヨーロッパ各地でのファッションショーも展開、もうすぐ10年という2022年2月24日にすべてが打ち砕かれた。そこから風景が一変する。120平方メートルある被服工場はウクライナ軍人の休養所となった。工場にいたスタッフ70人のうち、30人が残った。

「戦地・ウクライナで雇用を守らなければ」。日本でデザインの構想を練り、データにしたものをウクライナへ送る。そして商品を制作する。その商品を日本へ輸入してビジネスを成り立たせている。
日本での最初の3か月間は、精神的につらかった。言葉もわからない、収入も断たれ、未来が見えなかった。そこからはい上がるため、ナタリアさんは1度も帰国していない。今後もビザを延長してこのスタイルを続けるという。
本当は故郷・ウクライナに帰りたい。しかし、あの美しい風景はなく、いつ終結するかわからないロシアとの戦いの動向を、日本で見守るしかない。

■日本への親近感

ヴィクトリアさんが日本が好きで、ずっと日本語の勉強をしていたことも、日本への親近感につながった。いずれは日本の大学にいきたいという夢を抱いていることもあり、しばらくは日本にとどまるという。日本の中学校に通うヴィクトリアさんは、外国人生徒を受け入れている大阪府内の高校の入学試験を2月22日に終えたばかり。今は合否の通知を待っている。

日本で学び、日本で仕事に就きたいと願うヴィクトリアさんを守るためにも、ナタリアさんは日本でデザイナーとしてビジネスを展開し、現地(ウクライナ)で雇用を確保するスタイルを、これからも続けるという。関西のファッション業界へのルートも開けつつある。大手百貨店での催事、通信販売での販路拡大など、手ごたえを感じている。

「日本語は難しい。『くれます・あげます・もらいます…』文法が独特。ひらがなはまだしも、漢字も出てくるから大変」。平日は日本語の勉強を4時間、毎日何らかの文法や文字、言葉を取得するように心がけている。そうしないと、日本でビジネスが成立しない。

日本での生活、不安な気持ちを拭い去ることができたのは、日本人の心の温かさだった。ある日、ナタリアさんは電車に乗り、方向を間違えてしまった。案内表示の文字がわからない、アルファベットは理解できるが、それが駅名なのかも理解できない。その時、ある女性が手を引いて一緒に電車を降りて、乗り場に連れて行ってくれたという。日本人のきめ細やかな対応に心打たれた。
食生活も心配だったが、日本は食材が充実していて、料理に困ることはない。ヴィクトリアさんの持病の症状も治まっていた。「食生活が格段に良くなったから」。食べるものもなかったウクライナのことを思うと、日本に避難して間違いではなかった。

「世界に誇れるウクライナの文化を、ファッションを通じて伝えたい」。一人娘と二人三脚で歩む日本での生活、現在も爆撃が続くキーウのことを想うと、涙が止まらない。
その一方で、娘の命を守らねばならなない。「もう二度とこのような悲しい思いをしたくない。誰もが望んでいる平和。ヴィクトリアも日本で頑張っているから、今私がしっかりしないと」と話すナタリアさん。振り返ればたくさんの人々が見守ってくれている。

■「帰りたいが、帰れない」~あるデータが示す現状

日本財団が2月21日に発表したアンケート調査(※)の結果によると、ウクライナから日本に避難している人のうち、「できるだけ長く日本に滞在したい」とした人が39.0%、「ウクライナの状況が落ち着くまでは、しばらく日本に滞在したい」と答えた人が33.9%と、現時点で日本での定住を望む人が6割を越え、増加傾向にあるという。
ある避難者の女性はラジオ関西の取材に対し、「私たちには誰にも負けない『愛国心』がある。一刻も早く祖国に戻りたい。でも焦土と化した故郷の風景を想うと、とても帰国できる気持ちにはなれない」と話した。
長引く戦禍、国を愛する気持ちを失わせてはいないか、受け入れる側も、真摯に“想い”を受け止める必要がある。

※日本財団が定期的に実施しているアンケート(今回が5回目)
対象 ⽇本財団の⽀援を受けている18歳以上のウクライナ避難者1022人
実施期間 2023年11月15⽇〜12月31⽇

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