江原啓之「『スピリチュアリズム』と『迷信』は違う」相談者の悩みにズバリ回答

スピリチュアリストの江原啓之がパーソナリティをつとめ、番組パートナーの奥迫協子とお送りするTOKYO FMのラジオ番組「Dr.Recella presents 江原啓之 おと語り」。
2月18日(日)の放送では、リスナーから届いたさまざまな相談に、江原がアドバイスを送りました。

江原啓之

<リスナーからの相談>
令和6年3月に「妻の姓」に入ろうと思っています。結婚した際、妻の姓に入る約束をしていたのですが、私の仕事柄すぐには変更できず、約束を果たせずにおりました。約束から12年経ちましたが、落ち着きましたので約束を実行したく思います。

私は次男で、三男である弟も親戚の養子に入りました。長男は実家に残っています。しかしながら、ご先祖に対して申し訳なく感じるところもあります。私の自宅には、お地蔵さまがいるのですが、毎日ご挨拶させていただいております。何をすれば良いのか分からず不安でなりません。

<江原からの回答>
江原:やはり「理にかなっているかどうか」を常に考えたほうが良いですね。一番いけないのは、迷信にとらわれてしまうこと。「スピリチュアリズム」は「迷信」とは違うんですよ。事実を求めることです。

確かに江戸時代などの昔は、「姓(=自分の家)」を守ることに命をかけていました。なぜかというと、当時は生き延びられなかったからです。昔は口減らしなどがあったように、食べていくことと、生きていくことが直結していて、生きることが奇跡だったんです。

男の子は割と体の弱い子が多くて、どちらかというと短命なのは男の子だったりしたんですよね。女の子は丈夫だと言われていましたが、跡継ぎにはならないので役立たずのように思われてしまったり……。

当時を「酷い時代だった」と言うわけではなく、それぐらい生き続けることに対して大変な時代だったんです。その名残りで、苗字や家系を継ぐことが重要視されてきたのがずっと続いてきてしまったんです。

ご先祖様のことを思う気持ちも分かりますが、じゃあ、今そのご先祖様がどう思っているかというと、誰も(跡継ぎがいないことに対しての不満などを)思っていない。あの世では、名前もどうでも良くなってしまうわけです。

懐かしさや想いなどは残りますが、テレパシーで会話をするので、言語もあまりない。たとえば、この世でも長く会っていないお友達の顔や思い出は残っていても、名前を思い出そうとすると「えっと……」となってしまいますよね。だから大事なのは思い出や想いだけです。「幸せならそれで良し」です。病気をしていたとしても、それもこの世の習いで、意味があってのことです。

相談者さんの“不安でならない”という不安はどこからくるのかというと、「何か罰が当たるのでは?」というような、迷信にとらわれているからです。罰を当てる先祖などいますでしょうか? 私は、自分の息子に罰を当てたいとは思いません。「ちょっと目を覚ましてほしい」というときに、愛情を持って転ばせることはあるかもしれませんが、すべては愛ですよ。自分にとって都合が悪いと、すべてが不幸のように思ってしまいがちですが、そこにあるのは愛です。それを思い返してみてください。

江原啓之、奥迫協子

●江原啓之 今夜の格言 「罰(ばち)はありません。すべては“愛”なのです」

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2月18日(日)放送分より(radiko.jpのタイムフリー)聴取期限 2月26日(月)AM 4:59
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<番組概要>
番組名:Dr.Recella presents 江原啓之 おと語り
放送日時:TOKYO FM/FM 大阪 毎週日曜 22:00~22:25、エフエム山陰 毎週土曜 12:30~12:55
出演者:江原啓之、奥迫協子
番組Webサイト:http://www.tfm.co.jp/oto/

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