長い2年、平和早く ウクライナから米沢に避難、マレンコヴさん父子語る

「終わりが見えない、とても長い2年だった」と語る(左から)マレンコヴ・セルギーさん、マレンコヴ・ヴラッディスラヴさん=米沢市

 ロシアによるウクライナ侵攻から、24日で2年を迎えた。病気治療のために母国を離れ、米沢市で避難生活を送るマレンコヴ・セルギーさん(60)と、息子で市避難民支援員のマレンコヴ・ヴラッディスラヴさん(35)は「終わりが見えない、長い長い2年間だった」と語る。終結への道筋は見えず、国際社会の関心が当初より薄らいでいることを懸念する。

 2人はウクライナ南部のザポロジエ市出身。同市があるザポロジエ州の多くはロシアに実効支配されている。暮らしていた家は前線から30キロほどの距離で、市郊外にあるウクライナ軍の関連施設や工場などにほぼ毎日、ロシアの攻撃がある。ヴラッディスラヴさんの祖母や多くの友人は今も、同市に暮らしている。交流サイト(SNS)で徴兵された友人とやりとりするが、配属地など詳細は分からず、心配が尽きない。セルギーさんは「国際社会の支援が減っていけば、ザポロジエ市もロシアに侵攻されるのでは」と不安を口にする。

 セルギーさんはがんの治療のために2022年11月、ヴラッディスラヴさんが住む米沢に身を寄せた。治療は順調に進んでいるという。戦時下の故郷では治療が難しく「生きるチャンスをもらった」と避難の受け入れに感謝する。

 セルギーさんの父は故郷に残り、国際電話で近況を確認し合っていたが、2週間前に亡くなった。セルギーさんが病気治療中ということもあり、葬儀に参列できなかった。セルギーさんは多くを語らないが、ヴラッディスラヴさんは「(祖父に)会いたかっただろう」とおもんぱかる。昨年4月から米沢で一緒に暮らすセルギーさんの妻ドブロローニャ・テティアナさん(50)と、ヴラッディスラヴさんの長女で孫のえまちゃん(1)ら米沢の家族が、セルギーさんにとっては大きな支えだ。

 侵攻から2年。父子が変わらずに求めるのは母国の平和だ。一方で、欧米のウクライナへの「支援疲れ」が指摘され、昨年10月にはイスラエル軍とイスラム組織ハマスの戦闘という新たな危機も勃発した。母国が平和を取り戻すためには諸外国の支援が必要だとし、2人は「これからも関心を寄せてほしい」と願う。

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