「戦えなくなったらゴルフをやめる」/原英莉花インタビュー(前編)

単独インタビューで昨年の“波乱万丈”を明かした(撮影/有原裕晶)

原英莉花が「ダイキンオーキッドレディス」(29日開幕/沖縄・琉球GC)で国内女子ツアー7年目のシーズンを迎える。昨年は腰の手術を経て、国内メジャー「日本女子オープン」で復活優勝を飾る一方、米ツアーのQスクール・ステージII(2次予選会)でスコア誤記による失格というどん底も味わった。国内開幕直前インタビューの前編では、激動の1年を振り返ってもらった。(取材・構成/服部謙二郎)

「ほんとかよ、これ治るんかよ…」

昨年5月。手術直後の原英莉花はベッドでそうつぶやいた。歩けない。片足では立つこともできない。250yd先のフェアウェイに球を飛ばすなんて…。現実に打ちひしがれそうになった。

6番アイアンで125ydが届かない

2023年シーズンの前半戦、原の腰痛は限界のところまできていた(撮影/大澤進二)

腰痛が慢性化したのは2020年末からだった。コロナ禍で12月開催になった「全米女子オープン」を終えて帰国した時のこと。「それまでもぎっくり腰はあったのですが、帰ってきて痛みが引かなかったんです。『あれ?今までと違う』って。そこからはずっと痛みが治まらなかったですね」

デビュー当初から、原は圧倒的な飛距離を武器にしていた。ニーアクション(ひざの動き)を大きく使うダイナミックなスイング。体をねじり切ってからパワーを一気に解放する動きは、同時に腰にダメージを与えていた。師匠のジャンボ尾崎と同様、飛ばし屋が腰痛と向き合うのは宿命かもしれない。

翌21年は「痛みを怖がってスイングも悪くなって」と悪循環が続いた。「痛さを認めたくなくて、痛くて練習できないのがすっごい腹が立った。トレーニングもできず、できないことが多すぎて『なんなの!』とイライラしているうちに1年が終わってしまった」。22年から痛み止めの注射に頼るように。「しっかり振れるようになり、練習もできるようになっていたので、あと1、2年は持つのでは」と思ったが、それは誤魔化しに過ぎなかった。

2023年シーズンは激動の一年だった(撮影/有原裕晶)

23年5月「サロンパスカップ」で決定的な出来事が起こった。

「すごい風が吹いた2日目、6Iで125ydも飛ばなかったんですよ。ドライバーもなんか飛ばないなって」。風の影響ではなかった。「右足が踏めない、なんか踏み込めない。『なんで?』と思っているうちに足がしびれてきて…」。試合後の注射も全く効かない。「腰は痛いまま。足はしびれているし。前屈しても『あれ?前に倒れない!』って」

翌週は「RKB×三井松島レディス」で福岡入りも、ベッドから起き上がれなくなり、出場を断念。「右足がビリビリして動かない。触っても感覚はないし『これもう無理じゃん』って」。腰痛の相談をしていた塩谷育代の紹介で、急きょ名古屋市内の病院で手術に踏み切った。

術後の1球目は「ピョーンって右に」

スイングの生命線である腰にメスを入れた。「自然治癒もあったんですけど、ただ待っているだけなら手術して取った方が絶対いいなと」。医師の「3カ月で復帰できる」という言葉もあって「短期間で治るなら」と決断した。

術後は不安が募る一方だった。3日間は寝たきり、神経も全然反応しない。それでも、手すり伝いに歩くリハビリを始め、階段の昇降を始めた。術後1カ月でクラブを握れるようになり、「早くゴルフがしたい気持ちでワクワクでした」。初めて球を打った時を「ピョーンって右に行ったんですけど、それすら楽しかった」と振り返る。

復帰後の原は徐々に試合勘が戻ってきた(撮影/大澤進二)

「1Wは3球まで」、「フルスイングはまだやめておこう」と徐々に段階を上げた。「1週間ぐらい練習したら少しずつ感覚も戻り、不安だったアプローチの感覚も悪くなかった。体さえ戻れば、『コレいけるじゃん』って」。手術からわずか3カ月、8月初めの「北海道meijiカップ」でスピード復帰した。

飛距離ロスとの対峙

腰痛は一段落したが、今度は「1Wが飛ばない」という壁が立ちはだかった。「今まで刻んでいたホールで『え、ここ1W? 3Wじゃなくていいの?』ってキャディに聞き返したり。距離が落ちるって嫌じゃないですか。衰えみたいですごくがっかりしちゃう」

9月末、復帰8戦目の「日本女子オープン」。会場の芦原GCは初体験だった。コースを知らないから、落ちた飛距離が気にならない。「今の自分でどう戦うかにフォーカスできてすごく前向きにプレーできた」

日本女子オープンで優勝。強い原が帰ってきた(撮影/村上航)

3日目に首位に立って逃げ切った。「復帰後は『絶対勝つ』と強い気持ちでした。でもまさか女子オープンで勝てるとは…」。数カ月前は歩けなかった人間が、国内メジャーで勝つ―。誰も想像できない復活劇だった。

米国への思い 「QT失敗」は過去のこと

手術に踏み切った理由のひとつに「米国挑戦」への思いがあった。「秋の米ツアーのQスクールだけは絶対に受けたい」というスケジュールを組んでいた。

10月のQスクール・ステージII(2次予選会)は最終予選のQシリーズ出場圏内の40位タイ以上に向け、2日目を終えて34位タイ。ところが、3日目にスコア誤記を犯して失格する。「67」とすべきスコアカードを「66」で提出した。残り1日を12位タイで迎えるはずだった。「自分に一打一打、勝ちながらプレーできていました。それがあの一瞬の出来事でなくなったのは、なんとも言えない苦しみでした」。

救いは自分の気持ちが、前向きでいられたことだ。「きのう、何を食べたとかも覚えてないぐらい、(自分は)今しか分からないタイプなのかなって最近、思い始めています。でもそれって大事で、きょうを大事に生きたらあしたにつながる。あしたを大事に生きたら、またその次に。米国に行きたいという気持ちも自分の中で大事にしながら、ちょっとずつ世界ランクを上げて前向きにいけたらいいかな」

「戦えなくなったらゴルフはやめると思う」ときっぱり(撮影/有原裕晶)

米国挑戦への闘志は衰えていない。「また向こうに行ってみて、なんかこう結果を出せたらいいなと思っています。そのつもりで準備もしている。きょうの自分の成長次第でもあるので、そこは毎日『自分、頑張れ!』って感じ」と笑う。

挫折にくじけず、立ち上がる。その原動力は?「やっぱり『戦えるかどうか』。そこが基準ですね。『もう戦えないな』って思ったら(ゴルフも)すっぱりやめると思う。今は戦えるものがあるからもっとうまくなりたいし、勝ちたいって思うから練習もする。悪かったら悔しがる。だから私はけっこうシンプル。きのうより少しでも強くなりたいなって思って日々過ごしています」。めげない原英莉花の新しいシーズンが始まった。

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