天皇皇后両陛下 3月下旬に能登半島の被災地をご訪問へ…懊悩され続けた“現地への負担”

2月23日、天皇陛下の64歳のお誕生日を祝う一般参賀に臨まれた天皇ご一家

2月21日、天皇陛下と雅子さまが能登半島地震で被災した石川県を3月下旬に訪問される方向で調整が進められていることが一斉に報じられた。陛下は、これまで警視庁創立150周年の記念式典、天皇誕生日の一般参賀でのおことばなど、折にふれて能登地域の人々を見舞われるお気持ちを示されてきた。

「元日の発生直後から、両陛下は能登半島地震の被災地を訪問したいというご意向を示されてきました。ただ、“訪問が災害対応の支障になってはならない”とも一貫して考えられていて、石川県内、特に能登半島の復旧状況を常に気にかけられています。

1月2日に予定されていた新年一般参賀も取りやめられ、天皇陛下のお誕生日に執り行われる一般参賀も中止するかどうかお悩みになっていたのです。

地震の犠牲となった人々やその遺族、避難所での生活を余儀なくされている被災者へ寄り添いたいというお気持ちを、両陛下は片時もお忘れにならずにお持ちになっていたようにお見受けしています」(宮内庁関係者)

2月5日に、天皇陛下は御所で広木謙三・政策研究大学院大学教授のご進講を受けられた。水をテーマにした研究を続けられている陛下は、国土交通省出身で国際機関でのキャリアがある広木氏を相談役としてきた。

「この日の話題は、津波や土砂崩れ、上下水道の被害をはじめとした能登半島地震の被害状況に関するものでした。ご進講は、通常よりも長い1時間半に及んだそうです。雪の降る寒い季節に、トイレも使えなくなる厳しい被災地の状況について会話が及ぶと、強く心を痛められていたご様子だったと……」(前出・宮内庁関係者)

さらにこのご進講の翌6日、陛下は雅子さまと愛子さまとともに、気象庁長官と防災担当の内閣府政策統括官からご進講を受けられた。皇室担当記者は、

「天皇ご一家は、2時間近く説明をお聞きになりました。今回の地震の特徴、半島という地形に由来する復旧作業のむずかしさや、避難所の備蓄状況を中心にお聞きになっていたそうです。また愛子さまは、被災地で活動する災害ボランティアについて質問されていたと聞いています」

■お誕生日に公開された写真に“ゆかりの品々”が

被災した人々に心を寄せられ続けた両陛下。石川県へのご訪問の詳細については、今も調整が進められているという。皇室担当記者は、

「両陛下のご意向もあり、現地自治体の負担を増やさないよう、具体的な日程も含めてご訪問のギリギリまで調整されるようです。

現時点では、被害の大きかった珠洲市や輪島市、能登町などを中心に視察され、避難所で被災した住民らとの懇談が検討されています。またご日程は日帰りで、羽田空港から能登空港まで空路で石川県に入り、自衛隊のヘリコプターに乗り換えて移動しつつ、上空からも被災状況をご覧になることも調整が進められています。

前例から考えると、同行する側近も人数を絞り、両陛下も随員とご一緒にマイクロバスに同乗されて、被災地を巡られることになるでしょう」

震災によって傷つき、家族が犠牲となり悲嘆に暮れる人々に、両陛下は少しでも寄り添われようとされてきた。2月23日、64歳となられた天皇陛下のお誕生日に際して公表されたお写真には、石川県ゆかりの品々が――。

「お誕生日に公表されたお写真の数カットには、能登地方ゆかりの伝統工芸品が並んでいました。『歌会始の儀』で用いられる輪島塗の懐紙箱、珠洲焼の壷……いずれも、過去の訪問時に献上されるなどしたもので、2月9日の撮影にあたって、両陛下が選ばれたと聞いております。

陛下はお誕生日に際した記者会見や一般参賀でのおことばに、被災者へのお気遣いやエールを強く打ち出されておりました。両陛下が折にふれてこうしたお気持ちを示されることは、日本全体に“被災地に心を寄せて、支えよう”というメッセージを送られようとお考えになっているとお見受けしています」(前出・宮内庁関係者)

厳しい冬の寒さや雪とも闘いながら、復興に向けて歩む石川県民に寄り添うお気持ちを、天皇陛下と雅子さまは片時もお忘れにならずにお過ごしになっている――。

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