誕生日プレゼントにお城をもらったら?【マリエンブルク城】を贈ったゲオルク5世とマリー王妃の物語

おとぎ話に出てくるような、世界の美しいお城。みなさんが一度は訪れてみたいお城はどこでしょう。ラブロマンスが背景に伝わるお城を、洋の東西とわず歴史が大好きという鷹橋 忍さんにひも解いていただきましょう。第2回はドイツのマリエンブルク城です。

★シェーンブルン宮殿★

いくつになっても、誕生日にプレゼントを貰うと嬉しいですね。

今回は、国王から王妃への誕生日プレゼントとして贈られた、ドイツのマリエンブルク城をご紹介したいと思います。

北のノイシュヴァンシュタイン

マリエンブルク城は、ドイツ中北部、ニーダーザクセンの州都であるハノーファーの南に約20キロに位置するパッテンセンにあります。

ドイツのお城というと、バイエルン王ルートウィヒ2世が建てたノイシュヴァンシュタイン城があまりにも有名ですが、マリエンブルク城も、「北のノイシュヴァンシュタイン」とも称される、ネオゴシック様式の美しいお城です。

ハノーファー王ゲオルク5世とは?

マリエンブルク城を建立し、王妃のへの誕生日プレゼントとしたのは、ハノーファー王ゲオルク5世(1819~1878年)です。

ゲオルク5世は、ハノーファー王国を統治した最後の王です。
幼い頃からピアノのレッスンを受け、音楽を愛したといいます。

ゲオルク5世は皇太子時代の1843年2月、ザクセン=アルテンブルク王家のマリー(1818~1907年)と結婚しました。
二人の間には、一男二女の子どもが誕生しています。

ゲオルク5世は、妻マリーや子どもたちを慈しみ、家庭を大切にしたのでしょう。ハノーファー王国の国民は、ゲオルク5世の一家を、新しい時代の「理想の家庭」と好意的に感じていたようです。

ゲオルク5世は1851年11月、32歳の時にハノーファー王に即位しました(以上、大西健夫「プロイセンのハノーファー王国併合とドイツ統一」早稲田教育学部 学術研究(地理学・歴史学・社会科学編)第五十七号 二〇〇九年二月)。

王妃への誕生日プレゼント

ゲオルク5世は、王妃マリーの39歳の誕生日に、夏の離宮として城をプレゼントしようと、思い立ったといいます。

なんともスケールの大きな誕生日プレゼントですね。

ゲオルク5世はドワーフが住んでいたと伝わる丘の上に、城を建てるように命じました。それがマリエンブルク城です。

城名は、マリー王妃の名前に由来するといわれます。
心からマリー王妃を愛していたのが、伝わってきますね。

城は1858年~1867年にかけて、著名な建築家であるコンラッド・ヴィルヘルム・ハーゼの計画に基づいて建築され、内装は建築家のエドウィン・オプラーによって行なわれました。

私の小さなエルドラド(理想郷)

マリエンブルク城は、メルヘンの世界を体現したような美しい外観を誇りますが、ドイツ彫刻の傑作といわれる本棚を備えた図書館など、その内部も目を奪われる素晴らしさです。

マリエンブルク城のホームページによれば、ゲオルク5世がマリー王妃の誕生日に城を贈った寄付証書には、「愛する妻の喜びと希望に応え、そして快適さを追い求めた」と記されていたといいます。

ゲオルク5世の妻への愛が詰まったマリエンブルク城は、マリー王妃の心を満たしました。
マリー王妃はマリエンブルク城を、「私の小さなエルドラド(理想郷)」と称したといいます。

ですが、この宝石のようなマリエンブルク城を、ゲオルク5世はその目で見ることはできませんでした。
なぜなら、ゲオルク5世は子どもの頃に病気で右目の視力を、遊びの最中の事故で左目の視力を失っていたからです。

そして、マリー王妃も、マリエンブルク城で長い時を過ごすことはできませんでした。
ハノーファー王国がプロイセン王国に併合されたからです。

プロイセンに併合される

城がまだ建設中であった1866年、普墺(プロイセン・オーストリア)戦争が起こり、ハノーファー王国はオーストリアに付きました。
ハノーファー王国の軍勢は「ランゲンザルツァの戦い」で勝利したものの、オーストリアは大敗してしまいます。
そのためハノーファー王国は、プロイセン王国に併合されたのです。

ゲオルク5世はオーストリアに亡命し、翌1867年、マリー王妃も夫を追ってオーストリアに亡命しました。
マリー王妃が、マリエンブルク城に戻ることはありませんでした。

現在は改修中

マリエンブルク城やハノーファーのホームページによれば、マリエンブルク城は2024年2月現在、改修工事中で、見学はできないようです。

改修を終えたマリエンブルク城は、ゲオルグ5世のマリー王妃への愛の証を、歴史に刻み続けることでしょう。

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