山村美智 フジテレビ時代のイジワル体験が『アナウンサーぷっつん物語』の元ネタに

出演オファーは、フリーになって1年ほどして舞い込んだという山村美智

「『アナウンサーぷっつん物語』はフジテレビが舞台。私は1985年に退社しましたが、よく局に出入りしていたから、古巣に戻ったという感覚はありませんでした」

こう語るのは、山村美智さん(67)。出演オファーは、フリーになって1年ほどして舞い込んだという。

「最初は出演オファーじゃなかったんです。プロデューサーの中山和記さんや脚本家の畑嶺明さんに『アナウンサーのドラマを作るから、裏話を教えてくれないか』と取材されて」

1986年に男女雇用機会均等法が施行されたものの、実際の職場では旧態依然とした男女差別が残っていた。それはフジテレビでも同じだったという。

「新人の女性アナは、男性アナのお茶くみをしたり、湯飲みを洗うのが当たり前。選挙特番の打ち合わせの際、私は誰よりも早くに来て、先輩アナに『副調整室で待っています』と伝えていたのに、私は呼ばれない……。事情を知らないスタッフから叱られましたが『誰よりも早くに来ていました』とも言えず。意地悪した先輩アナからすれば“女はいらない”という古い考えを捨てられなかったのでしょう」

そんな実体験がドラマにリアリティを与えた。そして山村さん自身も、メインキャストの一人として名を連ねることになった。

「私はNHKから移籍してきた花形アナウンサーという役どころでしたから、ちょっとお高くとまった感じにしてみました(笑)」

同ドラマは実験的な挑戦をしており、第5回は生放送。

「マイク片手に廊下を歩くときにつまずきそうになるなどハプニングもありましたが、ニュース番組の経験があったから時間内できっちりセリフを言い終えることには慣れていたんです」

撮影現場の雰囲気もよかった。

「神田正輝さんや岸本加世子さんと一緒の時間が多かったですね。神田さんはシティボーイという感じで、おいしいお店もたくさん知っているんです。『この間、妻と○○に食事に行ってね』なんて、プライベートなことも話してくださいました」

高視聴率に支えられた同ドラマは“月9”最初の作品となり、この放送枠から数々の名作が誕生することになる。

「私にとっても、フリーアナになって最初の連続ドラマ。女優として、人生のセカンドステージのスタートとなった、思い出に残る作品です」

© 株式会社光文社