綾田俊樹、国民的 “おじいさん俳優”は「最近、やっと実年齢が追いついてきた。今は本物、昔には負けないよ」

綾田俊樹

人の多い下北沢駅を抜けて、5分ほど歩いた落ち着いた商店街にある「やきとり椿」。カウンターしかない店内で、コップのギリギリにまで注がれた焼酎を美味しそうに飲んでいるのは俳優・綾田俊樹。

「ここに来たら必ず焼酎。これが焼き鳥に合う。焼き鳥はどれも大きくて美味しいんだけど、レバーは特別かな」

先代の名物店主のころからの常連である彼は、娘を連れてきたことも。

「まだ子供だったけど連れてきたら、煮込みを2杯も食べて。今でも煮込みを食べると、あの笑顔を思い出します。

ちなみに最近は柄本っちゃん(柄本明)も来ることがあるみたい。彼は僕と違ってお酒をほとんど飲まずに焼き鳥をサッと食べるいい客らしいけど(笑)」

綾田が演劇を始めるきっかけとなったのは、予備校生のころに従姉妹に連れていかれた劇団黒テントだった。

「観ると同世代の人たちがキラキラしていて。芝居自体は訳がわからなかったけど、やってみたいと思いました」

上京後、大学に通いながら串田和美の自由劇場(後のオンシアター自由劇場)の養成所に入り、研究生に。そこには柄本やベンガル、高田純次、岩松了らが所属していた。

「彼ら以外にも萩原流行、イッセー尾形らがいました。みんな個性的だったけど、高田さんは今の芸風からは考えられないくらい芝居になると真面目で。素晴らしかったです」

なかでも柄本とベンガルとは気が合い、毎日のように共に遊んでいた。

「僕の下北沢のアパートに来ては飲んでいました。2人とも僕がカギをかけて出かけると怒るんですよ。ある日、大学の女友達が数人、僕の部屋に泊まっていたんだけど、それを知らずに柄本っちゃんはいつものように物干し台をよじ登って2階の窓から侵入してきて……。女のコが驚いて大騒ぎ。だって今と違って当時の彼は、髪の毛もふさふさで怖い顔でしたから(笑)」

そして、3人で演劇の合間にコントをやるようになった。

「当時の自由劇場は即興芝居をまとめて作品にしていて、僕らがコントをするとおもしろがってくれる人が多く、いつの間にかやっていました」

1976年、柄本、ベンガル、綾田の “仲よし3人組” は、「劇団東京乾電池」を旗揚げする。

「名前の由来は、ディスクジョッキーをしていた友達の女のコ。当時食えなかったのを見かねた彼女がビアガーデンでの仕事をくれて。ただ出るとなると名前が必要となり、ディスクジョッキーのコの社長がいろいろ考えてくれた中にあったのが、東京乾電池。それを50年近く、まだ使っているの。よく名前の由来を聞かれるけど、なんか恥ずかしいよね」

観客の反応がすぐ返ってくるコントは、演じていて楽しかった。しだいに3人は、コメディにのめり込んでいく。

「やきとり椿の近くにあった神社で稽古をしていました。当時はお店に入ったことはなかったけど、隣の銭湯には寄ったなあ。稽古でつい声が大きくなり、近所の人に叱られたのもいい思い出です。

そういや、3人で同じテクノカットにしたこともあった。柄本っちゃんとベンガルはそういうのが好きなんですよ。僕は嫌々やらされて。でも、何をやっても楽しかったです」

俳優3人で立ち上げた劇団は、高田、岩松らが加わり、昼の人気番組『笑ってる場合ですよ!』(1980~1982年フジテレビ)のコーナーで時事コントを担当するまでになった。

「高田さんは一度自由劇場をやめて、宝石商の仕事をしていたんですよ。結婚をして子供もいたんだけど、やはり芝居をしたいということで入ってきて。その決意を聞いたとき、あの人には勝てないなと思いました。すごい人ですよ」

その後、個人としてほかの劇団や演劇、テレビや映画に呼ばれることが増えてくる。

「僕らはそれぞれ干渉しないんですよ。みんな好きなことを自由にやって、たまには(東京乾電池に)帰ってきて一緒にやる。その繰り返し。

もちろんグループだけど、基本はソロで、帰る場所があるという感じ。これは俳優だけで立ち上げた劇団ならではの考え方なのかも。だから仲も変わらず、50年近くも続いているのだと思います」

綾田俊樹

ドラマ『深夜食堂』(2009年、MBS)ではゲイの小寿々を哀愁がありながらもコミカルに演じるなど、綾田はバイプレーヤーとして人気作に欠かせない存在だ。

「『深夜食堂』は松岡錠司監督だったんですが、セットにものすごくこだわっていたんですよ。所沢の体育館を借りて、そこに飲み屋街を造る。提灯や映らないであろうポスターまで作り込んでいて。それができるって愛情ですよね。いまだに『続編を期待しています』と言われる作品です」

数多くの作品に出演した綾田に印象に残っている役を聞くと、「昔からじじいの役しかしていないんだよ」と笑う。

「それこそ自由劇場のとき、20歳そこそこで初めてもらった大きな役は吉田日出子のおじいさん役だった。きっと昔から年寄りくさい顔をしていたんだろうな。

なんやかんやでじじい役も50年近くやっているけど、最近はやっと実年齢が追いついてきた感じ。当たり前ですが、今は本物なので、昔には負けないと思っています」

放送中のドラマ『闇バイト家族』(テレビ東京系)でも、とある事情からニセ家族になる祖父を演じている。

「このドラマはキャストが魅力的。鈴鹿央士、山本舞香といった若者と、光石研、麻生祐未、吹越満らベテランとのバランスが絶妙なんですよ。

現場では光石が素晴らしい芝居を見せつつ、吹越がピリッと締めるので、若者2人も楽しそう。作品で大事なのはチームワークなので、それがあるいい作品です」

最後に人生を変えた作品、人物について聞くと、少し悩んで「作品ではないけど、先代の中村鴈治郎、いや柄本明かな」と明かした。

「柄本っちゃんと出会ったからいまだに演劇をやっているわけだし。ベンガルもそうだけど、僕にとってはいつまでも師匠のような存在。年齢なんて関係ないですね。

これはいつもだけど、僕が芝居をしたら呼んでもないのに柄本っちゃんは来るの。この前も『柄本さん来てますよ』と教えられて……。もう青ざめちゃって。やっぱりあの目で観られたら緊張します」

観にきても演技については話さないというが、「ああ、一度だけ柄本っちゃんからほめられたことがある」と続けた。

「僕が無言で待っている芝居をしていたら、それがいいって。あれは嬉しかったな」

出会って50年以上たっても柄本とベンガルとの関係は変わらないという。

「この2人と出会えたことは本当によかった。僕は人にしても作品にしても “出会い運” はものすごくあるんですよ」

そう得意げに話し、綾田は焼酎をクイッと飲みほした。

あやたとしき
1950年6月13日生まれ 奈良県出身 自由劇場を経て、1976年に柄本明、ベンガルと共に劇団東京乾電池を結成。『深夜食堂』シリーズ(MBS)や大河ドラマ『真田丸』(2016年、NHK)などヒット作に出演し、バイプレーヤーとして活躍。また舞台の演出なども手がける。現在ドラマ『闇バイト家族』(テレビ東京系)に出演中

【やきとり椿】
住所/東京都世田谷区北沢3-26-4 栃倉ビル1F
営業時間/16:00~22:00
定休日/木曜

写真・伊東武志

© 株式会社光文社