古代から人は「ネガティブ」な感情を乗り越えてきた?…うつ状態になるのは、現実の問題に対処するための手段【ロンドン大学教授が解説】

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ネガティブな感情はよくないものだと思っている人もいるのではないでしょうか? 涙や悲しみ、落ち込みが人を強くするというのはきれいごとではなく、自分を高める絶好のチャンスになると社会心理学者のトマス氏は言います。『「自信」がないという価値』(河出書房新社)よりトマス・チャモロ=プリミュージク氏が、本当に自信がある人について解説します。

自信がない人は現実を正しく認識することができる?

自分に自信がない人は、自信過剰な人よりも、他者からの厳しい評価を求める傾向がある。これは、数多くの心理学の研究で証明されている事実だ。

たとえば、自己主張が強くない人ほど、自分に対して批判的な人と付き合うことを好む傾向がある。自分を褒める人が周りにいても、あえて自分に厳しい人を選んでいるのだ。この現象は「自己肯定化」と呼ばれている。彼らが求めているのは「正しい現実」であり、いわゆる自信家の人たちが現実をゆがめて解釈しているのとは正反対の姿勢だ。

それに、自己肯定化と自信過剰では、まったく違う結果につながる。自分を過大評価する人は、自信は持てるかもしれないが、現実を正しく認識することはできない。

一方で自分を厳しく評価する人は、たしかに自信がなくてつらい思いをするかもしれないが、現実を正しく認識することができる。そして当然ながら、自分に厳しい人は、自信過剰な人よりも、実力を高めるために努力する。うつ病のような極端なケースでもそれは変わらない。

うつ状態になるのは、現実の問題に対処するための手段

気分の落ち込みにも、何か心理的に重要な役割があるかもしれないと考えたことはあるだろうか? その可能性については、進化論的な観点から考察されてきた。つまり、うつ状態になるのは、現実の問題に対処するための1つの手段だというのである。

たとえば、人はうつ状態になると、小さなことがどうでもよくなる。その結果、普通なら楽しいちょっとしたこと(パーティへ行く、アップビートの曲を聴く、コメディ映画を観る、デートをするなど)に楽しみを見いだせなくなる。これはうつ病の典型的な症状だ。

つまり人類は、うつ状態になることで、余計なことに気を散らさずに、難しい問題だけに集中することができるように進化したのだ。頭を使わなければならない問題、集中力が必要な問題は、特にうつ状態が助けになる。

体に病原菌が入り込むと、発熱によって問題に対処しようとするのと同じように、うつ病もまた、脳が難しい問題に対処しようとしている結果なのだ。愛する人を失う、楽しい休暇の終わり、失敗、失望といった事態と、折り合いをつけようとしている。つまり私たちは、うつ状態のおかげで、ネガティブな出来事に対処し、この先同じようなつらい経験をくり返さないように準備ができるというわけだ[注1]。

[注1]現に、傑出した成功者にはうつ病の人が多い。たとえば、ウディ・アレン、チャールズ・ディケンズ、フョードル・ドストエフスキー、ハリソン・フォード、ミケランジェロなどは、うつ病を経験したと言われている。また、同じくうつ病だったといわれているフリードリヒ・ニーチェは、「私を殺さないものは、私を強くする」という有名な言葉を残した。うつ病の効果をよく表した言葉だ!

このように、うつ病には進化上の大切な役割があるのだが、うつの症状を躍起になって消そうとするのが最近の風潮だ。

たとえばアメリカの場合、もっとも多く飲まれている薬は抗うつ剤だ。うつ病の診断を受けていなくても、実に10%の人が日常的に抗うつ剤を飲んでいる。ある調査によると、抗うつ剤の売り上げはここ20年で200%も伸びたという。薬の消費が増えると、依存症の人も増える。その結果、うつ病患者の率も、抗うつ剤の消費とほぼ同じくらい増える結果になった。

うつ状態は実力を高める絶好のチャンス

つまり現代人は、ネガティブな自己イメージを拒否し、自信のなさから目を背けるあまり、何百万年にもわたる進化で培ってきた「対処するスキル」を失っているのかもしれない。私たちは、甘やかされすぎた結果、不快な感情や失敗と向き合うことができなくなっているのだろうか。

進化とうつ病の関係について革新的な発見をした2人の心理学者、ポール・アンドリューズとアンディ・トムソンは、次のようにいっている。

「抗うつ剤を処方して治療することを重視する最近の風潮は、痛みをすぐに消したいという本能的な欲求から生まれている。しかし、心の痛みに耐え、むしろ自分の利益になるように活用する方法を学ぶことが、もしかしたらうつ病が存在する進化的な理由なのかもしれない。哲学の世界では、つらい経験が成長の糧になり、自分自身や人生の問題に対する洞察を深めるきっかけになるという考え方が昔から存在するが、これもうつ病の進化上の役割と関係があるのかもしれない」

ここでアンドリューズとトムソンがいっている哲学的な伝統とは、ストア主義のことだ。ストア主義は古代ギリシャを起源とする哲学の一派で、自分を厳しく律する禁欲主義が特徴だ。現代の「自分大好き」の風潮とは違い、ストア主義は、快楽ではなく真実を追究せよと教えている。

古代ローマでもっとも影響力のあったストア派の哲学者、ルキウス・セネカは、「不幸を勇気で乗り越えることができる人間ほど、尊敬を集める存在はない」といっている。ストア主義の教えでは、ポジティブな感情ばかり追い求めるのは、むしろ自分にとって害になるのだ。

つまり、気分が落ち込んだり、自信を失ったりしても、絶望する必要はないということだ。むしろそれは、自分を高める絶好のチャンスになる(唯一のチャンスではないにしても)。

ここでは、次のことだけを覚えておけばいいー自信があるから成長できるのではなく、実力があるから成長できるのだ。実際、逆境を受け入れるほうが、逆境から目を背けるよりも、ずっと成長の糧になる。ストア主義で昔からいわれているように、人は苦痛、涙、傷心によって強くなるのだ。

ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン教授

コロンビア大学教授

マンパワーグループのチーフ・イノベーション・オフィサー

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