離島育ちのヒーロー 長崎・五島南の川原 1月の都道府県対抗駅伝で快挙 順大で「山の神」へ

「五島は何もない分、人一倍練習に打ち込める。誰よりも練習しよう」という気持ちでトップランナーに成長した川原=五島市役所前

 駅伝部もない離島の小さな学校に通うランナーが、名門校のエースたちを抑えてヒーローになる。まるで漫画のような物語が実際に起きた。
 1月の全国都道府県対抗男子駅伝(広島)。長崎の1区(6キロ)を任された川原琉人は周囲を驚かせる走りで注目を浴びた。前評判の高い選手が多数そろった中、号砲からいきなり飛び出すと、一度集団の後方に下がったのもつかの間。残り1.6キロ付近で再び仕掛けて首位に立ち、そのまま最後まで駆け抜けた。区間記録を8秒更新する快走だった。
 「ずっとロードで練習してきた。ロードでは誰にも負けたくなかった」。レース後の言葉が躍進の理由を言い表していた。
 高校2年まで個人で全国大会出場の経験はない。高校3年でインターハイと国体に出場したが、入賞には届かなかった。そんな全国的に無名の選手が躍進した背景には、恵まれているとは言い難い練習環境がある。
 生まれ育った五島市三井楽町にある中学は1校で、1学年15人ほどの小規模校。練習場所は決まって近所の農道だった。
 両脇に高い木が並ぶ1キロの一本道を一人黙々と往復する日々。競い合える練習パートナーはいない。強豪校の選手をうらやましく思う日もあったが、見えないライバルを常に意識して「五島は何もない分、人一倍陸上に打ち込める。他の誰よりも練習しよう」と自らを追い込み続けた。起伏のある硬いアスファルトを毎日走り、誰にも負けない脚力を身に付けた。

1月の全国都道府県対抗男子駅伝1区で先頭を走る川原(右)=広島市内

 中学3年時に3000メートルで当時日本中学歴代3位の好記録を出したものの、コロナ禍の影響もあって全国舞台にチャレンジする機会がなかった。高校入学を機に島外に出たが、歯車がかみ合わずに2年生の夏に島内の高校へ転入。いくつもの壁にぶつかり、それでも走り続けて高校最後に大輪の花を咲かせた。
 春から箱根駅伝優勝11度の順大に進む。再び島を出ることへの不安は正直ある。でも、それよりも高いレベルに身をおける楽しみの方が大きい。「箱根駅伝で山上りの5区を絶対に走る」。農道で過ごした日々を自信に、新たな「山の神」を目指して歩を進める。

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