「同じスコアで終われたのはまたなんか面白い」31年の時を経て父親と同じピッチに立った水沼宏太の想い【コラム】

1993年5月15日、大学3年生だった著者は国立競技場でヴェルディ川崎対横浜マリノスのJリーグ開幕戦を生観戦した。マイヤーのゴールに歓喜し、ラモン・ディアスの決勝弾にため息を漏らす。それから約31年の時を経て、まさか記者として東京ヴェルディと横浜F・マリノスを取材する立場になるとは思いもしなかった。

当時のヴェルディは三浦知良、ラモス瑠偉をはじめ文字通りのスター軍団だった。それに比べると、今季の東京Vは大スターと呼べるような選手は見当たらない。もっとも有名なのはもしかすると城福浩監督かもしれないが、それでも彼らは優れた組織力で横浜を苦しめた。

横浜にサッカーらしいサッカーをさせなかった前半の東京Vは素晴らしく、山田楓喜のFK弾で決めた先制点を守り切ったまま完封勝利を収めるのではないかと、そんな期待感もあった。 しかし、実際は89分にアンデルソン・ロペスのPKで追いつかれ、90+3分に松原に逆転弾を許している。ヴェルディが先制しながら1-2で逆転負けを喫する展開は、31年前のオープニングゲームとまるで一緒だった。

1993年当時のJ開幕戦、マリノスで勝利の美酒を味わったひとりが水沼貴史氏で、その息子である水沼宏太が31年後のピッチでプレーしているのも不思議なものだ。

試合後、“歴史”について訊かれた水沼宏太は次のようにコメントしていた。

「(父と)同じようにピッチに立てたのは良かったし、同じスコアで終われたのはまたなんか面白いと思います」

この日はJリーグ初代チェアマンである川淵三郎氏のスピーチもあり、当時を思い起こす演出もあった。水沼宏太は言う。

「昔からJリーグを応援している、支えている方たちにとってはあの日を思い出す、あの日を知らない若い世代の方たちもこういう歴史があったんだと分かる演出だったと思います。僕自身も『父が出ていたんだ』っていう意味では嬉しさがありますし、そういう試合で勝てたのも良かったです」

この日の国立競技場は人々の様々な想いに包まれていたに違いない。今回観客としてスタジアムに訪れた方の誰かが31年後の試合で記者として国立競技場に来るようなことはあるかなと、水沼宏太の話を聞きながらそう思った。

取材・文●白鳥和洋(サッカーダイジェストTV編集長)

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