『風よ あらしよ』から滲み出る現代社会への危機意識 “理想”を掲げ続けた伊藤野枝を想う

吉高由里子主演の映画『風よ あらしよ 劇場版』が劇場公開された。

本作は、2022年にNHK BS4K・8Kで放送された特集ドラマ『風よ あらしよ』を映画化したものだ。

主人公は大正時代に活躍した女性開放活動家・伊藤野枝(吉高由里子)。今から100年前。女性が結婚して家庭に入ることが当たり前だった時代に、親が決めた結婚を放棄して、恩師の辻潤(稲垣吾郎)と結婚した野枝は、雑誌『青鞜』を創刊した女性思想家・平塚らいてう(松下奈緒)の元を訪ね、新しい時代の女性解放活動家として活躍するようになっていく。

原作は2020年に刊行された村山由佳の同名小説(集英社)。演出は吉高由里子が主演を務めたNHK連続テレビ小説(以下、朝ドラ)『花子とアン』でチーフ演出を務めた柳川強。脚本は『毒島ゆり子のせきらら日記』(TBS系)で第35回向田邦子賞を受賞した矢島弘一。

リアルサウンド映画部に掲載された柳川強との対談の中で村山由佳は「時代がどんどん野枝の生きた時代に戻っているというか、かつてよりも巧妙な形で、私たちにわからない形で社会がひじょうに息苦しくなってきています」と、語っている。

確かに本作を観ていると、今の日本で起こっていることとそっくりだと感じる場面が何度も登場する。

2017年にハリウッドの大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインの性的暴行事件が報道されたことをきっかけに、フェミニズム運動が世界的な盛り上がりを見せており、日本でも性被害に遭った女性による告発が続いている。

背景にあるのは、女性差別が社会システムとして温存されている日本社会の問題だ。

伊藤野枝が生きていた明治~大正と比べれば、表面的には平和で豊かになった令和・日本だが、男女差別や低賃金労働によって労働者が搾取される社会構造は温存されており、昭和~平成にあった経済的豊かさという基盤が失われていく中で、差別構造が再び剥き出しになりつつある。だからこそ「時代がどんどん野枝の時代に戻っている」と村山は語ったのだろう。

2011年の東日本大震災から2020年に開催予定だった東京オリンピックへと向かう日本の空気と重ねるかのように、大正12年(1923年)の関東大震災から、1940年に開催予定だった幻の東京オリンピックを経て、太平洋戦争へと向かっていく当時の日本を描いた作品が2010年代以降、多数作られている。

柳川がチーフ演出を務めた『花子とアン』をはじめする朝ドラはその筆頭で、戦前を舞台にした朝ドラでは、関東大震災が繰り返し描かれてきた。

2013年に公開された宮﨑駿監督によるアニメ映画『風立ちぬ』、2019年のNHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』、2023年に森達也が監督した映画『福田村事件』といった作品でも関東大震災は描かれてきたが、近年の作品では描写がよりシリアスになっており、震災に端を発した流言飛語や虐殺といった日本人が起こした人災としての側面も描かれるようになっている。

『風よ あらしよ』でも、野枝と大杉栄(永山瑛太)が憲兵に連行された末に殺害される姿を曖昧にせずに描いており「同じ過ちを繰り返してはいけない」という切迫した危機意識が画面に滲み出ているように感じる。

その意味で本作は、過去の出来事を通して令和の日本で起こっている問題を照射するメッセージ性の高い映画だと言える。とは言え、本作はただやみくもに理想を語る映画ではない。

女性活動家という自分の日常から遠い存在に思える野枝だが、彼女が辿った28年の生涯の中に「その気持ちを自分は知っている」と感じる生々しい手触りがちりばめられている。

中でも青鞜社周辺のエピソードは、とてもリアルだと感じた。平塚らいてうから引き継ぎ、『青鞜』の編集長となった野枝は、先鋭的なテーマを扱うが雑誌は売れず返本の山となる。やがて『青鞜』は廃刊となってしまい、野枝に進むべき道を指し示してくれた辻との関係も、野枝が成長するに従い、うまくいかなくなる。

最終的に「幼稚なセンチメンタリズム」を共有できる大杉と出会うことになる野枝だが、二人の絆と同じくらい印象に残るのが、彼女の元から去っていた人々だ。

辻も含め、野枝から離れていった人たちが去っていく時に見せる複雑な表情は印象的で、理想に向かって邁進する野枝の気持ちも、野枝から離れていった人たちの気持ちも同じくらい理解できる。

周囲から理解されなかった孤独を抱えた人間が新しい仲間たちの元で才能を開花させ、仲間と共に世に打って出る時に感じる高揚感は格別のものである。しかし、理想だけでは人は生きていけないため、一人、また一人と野枝から離れていく。

志を共にした仲間が次々と離れていく「青春の挫折」を徹底的に描いた序盤の痛みがあるからこそ、『風よ あらしよ』は、理想を語りながらも地に足のついた普遍的な物語に仕上がったのだ。

(文=成馬零一)

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