面接で1時間も待たされた上に「こんな資格、意味ない」と馬鹿にされた女性 数年後、面接場所の近くを通ると更地になっていて…

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売り手市場の今と違って就職が厳しかった時代、何十社も受けてようやく1社から採用されたという就活生は決して珍しくなかった。約15年前に短大生だった30代前半の女性(西日本在住)は、

「同期の多くは就職を諦め4年制大学へ編入したり、コネ入社したり、家業を継いだりしていた超就職氷河期」

を振り返った。2008年のリーマンショック後の氷河期を経験したのだろう。

就活から逃れた同期とは違い、就職する必要があった女性は、短大の就職課にきていた事務員の求人に応募した。

ところが、初めて受けた会社の面接で、「なぜこんなにバカにされなければならないのか」と泣いて帰るほどのひどい扱いを受けたという。一体どんな面接が行われたのか。編集部は女性に取材した。

「給料も安い。でも、選んでられないな」

女性が短大の就職課を通して応募したのは、広いリハビリルームが印象的だったという中規模の個人病院の事務職。女性は短大で医療に関わる分野を学んでいたため医療管理秘書士や上級秘書士(メディカル秘書)の資格を取っていた。

ほかにも在学中に日商PC検定3級、ビジネス実務士、情報処理士を取得するなど、就活に向けて早くから備えていたようだ。

その病院は、近くに公共交通機関が通っておらず、家から車で40分程と通いにくいうえに、「給料も安い。でも、選んでられないなと思いながら面接を受けることにしました」と当時の心境を振り返った。女性には奨学金の返済があり、何としても就職しなければならなかったのだ。

こうして面接に臨んだが、予定時刻になっても面接が始まらない。1時間が過ぎたところで、ようやく60代の男性院長、介護主任の女性と事務長の女性の3人がやって来たが、待たせたことへの謝罪はなかった。女性は違和感を覚えるも、「どーぞー」と部屋へ入るよう促された。

面接官の3人は、ワイワイと話をしながら机や椅子をコの字型に並べ始めた。3人がずっと話しているので「手伝います」と言うタイミングを見つけられなかった女性は、突っ立って見ているしかなかった。やがて、面接官の1人からソファに座るように指示があり、面接が始まった。

「◯◯大学の紹介で来ました××と申します。本日はよろしくお願いいたします」

と挨拶するも、なぜか3人は無言。しばらくして、履歴書を見た院長が「何でウチ?」と口を開いた。

さらに女性の取得した資格に対しても、院長は、

「この資格何に使うの?こんな資格使わないよ、意味ない」
「ウチはあんまりパソコン使わないから、パソコンの資格なんて意味ないよ」

とダメ出しを始めた。「最初から採る気ないなと思える、否定ばかりの質問でした」と振り返る女性。

ほかにも「事務希望なの?ウチは介護もリハビリも事務も全部してもらうよ」と言われた。これには「介護もリハもできます」と女性は答えるも、またしても無言の反応だった。

「なぜこんなにバカにされなければならないのか」

その後しばらく無言が続いた。女性は困惑するばかりだったが、しばらくすると面接終了とも何とも言わずに3人が立ち上がった。そして、また楽しそうに話しながら机や椅子を片付け始めた。3人の会話を女性はこのように記憶している。

「私の資格をバカにした会話でした。あんな資格は聞いたことない。意味ないし、わけがわからない。(女性は)賢くなさそうだし、誰でも取れる資格だろうという内容でした」

本人がいる前で話すことはないだろう。当然、女性は不快極まりなかったが、勝手に帰るわけにもいかず、退室するタイミングを待つしかなった。

やがて院長に「まだいたの?帰っていいよ」と言われたことで、「本日はありがとうございました。失礼します」と挨拶をして部屋を出られた。

すると階段を下りている途中で、追いかけてきた事務長がニヤニヤ笑いながら「結果は後日連絡しますね!」と言った。まるで笑いを我慢しているかのように見えた女性は、「アホらしくなりましたので、『はぁ』とだけ返しました」と語る。しかし帰り道に、

「なぜこんなにバカにされなければならないのか。最初から面接してくれる気もないじゃないか」

と悔しさがこみ上げてきて、泣いたと明かす。わずかな求人に応募者が異常なほど群がっていた、あの時代を経験した人には身につまされる話だろう。

その後の面接もうまくいかず……

後日、女性はこの顛末を就職課に伝えた。すると担当者はかなり驚いた様子で、

「そんなことある!? 酷すぎる……毎年、あの病院には募集を頼んでいるんですが、採ってくれたことはなくて。嫌な思いさせてすみません」

と女性に謝罪した。ほかの学生も同じ目に遭わないように「募集を取消しておきます」とも言った。

しばらくして病院から女性のもとに届いた結果は不採用だった。その後も就活に勤しむも、

「氷河期でそもそもの募集があまりなく、募集があっても高倍率で、その上に初めての就職面接がコレ(病院)だったことがトラウマになって面接が上手くいかず……。結局20社近く落ちて、奨学金支払もあるので卒業後は派遣で働いていました」

と結末を語った。

製造業の派遣は1か月契約の予定だったが、仕事ぶりが評価されて契約延長を繰り返し、結局1年勤めた。体調を崩して辞めたものの、その後は準公務員として働いている。時代背景もあり就活に苦労したが、ようやく自分に合う仕事に出逢えたようだ。

ちなみに、病院での面接の数年後に近くを訪れると病院は潰れ、更地になっていた。「そりゃ、面接がアレでは潰れるよね……」と何の驚きもなかったようだ。

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