恵俊彰、バブル期でも3万円の家賃が払えずヒモ生活…掃除も洗濯もせず「まったくえらそうなヒモで(笑)」

鹿児島国体のオープニング司会を務める恵(写真・時事通信)

2月23日放送の『ひるおび!』(TBS系)で、前日の22日に日経平均株価が34年ぶりに最高値をつけたことから、バブル期当時の思い出を出演者が話していました。

同番組MCのホンジャマカ・恵俊彰さんは、当時25歳の若手芸人でした。

「お金がなかったんで。全然食べていけなかったんで、なんにも味わえてないんですけど」とバブルとは無縁の生活を送っていたと言います。

「この頃、大変ですから営業が来たらラッキーってことですよ。六本木のパブでね、夜中までコントをやったりしてる時代です。B21スペシャルさんとかダチョウ倶楽部さんとかと」と、下積み時代を振り返っていました。

筆者は以前、恵さんに若手芸人だった時代のお話を伺っています。

「下北沢の『鈴木荘』ってとこに住んでいたんですよ。家賃が3万円ぐらいなんですが、払えずに夜逃げしましたから。だから奥さん(当時は彼女)にお金ももらってましたね。会っているタイミングで「もう帰るんだったら2000円ぐらい置いてかない?」って。逆援助交際みたいな感じでした(笑)」

その後、恵さんは彼女から結婚したいという意思を伝えられました。

「奥さんが29歳のときに、『私も人生あるし、子供も産みたいし、年齢的にもギリギリのところだから結婚したい』と。でも、芸能界なんて不安定だし、はっきり言って自分が成功するとかまったく自信がないわけですよ。でも、そんな俺みたいな人と結婚したいと言ってくれるなら、ちゃんと考えなきゃと。

それで『結婚はするけど、本当にごめんね。幸せにできるかどうかわからないけど』って(笑)。まったく結婚も自信がなくて。

だって、当時出演してた『ひょうきん予備校』(フジテレビ系)って番組のギャラが2500円とかで、『東京フレンドパーク』(TBS系)のギャラも安いんですよ。全国ネットの番組に出てこんだけしかもらえないなんて……」

結婚後は芸人の仕事も少しずつ好転しましたが、それでも不安をぬぐえませんでした。

「家を買ったときはローンの返し方でもめました。奥さんは繰り上げ返済したほうが少ない金利で早く返せるからいいという考えなんです。

でも僕は、いまたくさん返して手元のお金が0になるより、長くなるけどちょっとずつ返してお金が残っているほうが安心なんです。

要するに、僕はいつも自分がダメになるかもしれないと思っているから。でも、そういう話になると奥さんは『大丈夫だよ。なんとかなるよ。弱気にならないほうがいいんじゃない』って言ってくれるんです」

そんな恵さんを支えてくれている奥さんに対し、当時の恵さんは家事のお手伝いをなにもしなかったそうです。

「飯も作れない、掃除もできない、洗濯もいっさいしない。まったくえらそうなヒモなわけですよ。まぁそのときは少し稼げるようになっていたので、縄ぐらいにはなってましたが(笑)」

その数年後に『ひるおび!』の前身番組『㊕情報とってもインサイト』(TBS系、2004年から05年放送)で初の情報番組のMCを任されるのです。

そこから番組名は何度か変わるものの20年続き、いまでは大物司会者の仲間入りをはたし、極太の大黒柱になりました。

ちなみに現在の恵さんの家庭での働きは「風呂掃除、トイレ掃除は最低やろう」と心がけているそうです。

インタビューマン山下
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している。

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