漫画家・スタニング沢村「私が子どもの頃に読んだら救われる作品を描く」

『実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』と『女(じぶん)の体をゆるすまで』で知られる漫画家・ペス山ポピーが、スタニング沢村という新しいペンネームで描く作品『佐々田は友達』(新潮社)。この物語の主人公、16歳の高校生・佐々田絵美は、学校で心を開ける友達がなかなかできない。しかし、佐々田は高校2年生に進級すると、クラスで一番目立つ女子・高橋優希との関わりを通じて新しい世界を知るようになる。

物語のなかに思わず自分の姿を探してしまうような、繊細な心の内を部分を深く掘り下げるこの作品は、どのようにして生み出されたのだろうか。自分自身を「佐々田ではなく前川に似ている」と語るスタニング沢村に、ニュースクランチ編集部が制作過程の裏側を聞いた。

▲スタニング沢村【WANI BOOKS-“NewsCrunch”-Interview】

ぺス山じゃない気がしてペンネームを変えました

――『実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』『女の体をゆるすまで』と、すでにぺス山ポピー名義で作品を出していますが、今回ペンネームを改めて漫画を描こうと思ったキッカケを教えてください。

沢村:簡潔に言えば、フィーリングです。3年前に知り合いの紹介で、この本を担当している編集の菅原さんにお会いした際に、“まだ(菅原さんと)仕事をするレベルに自分は達してない”と思って。そのあとに描いたのが『女(じぶん)の体をゆるすまで』なんです。それでようやく、“菅原さんに育ててもらえる段階に入ったかな”と思ったときに、もうぺス山じゃない気がして。そういうフィーリングで変えさせていただきました。

――これまでの2作品はコミックエッセイでしたが、創作をやりたいというのはいつ頃から考えていたのでしょうか?

沢村:もう自分について書くことがあんまりないな、と。創作はできないと思い込んでたけど、今ならできるかもと思って。ただ、やってみるには助けが必要だから、それこそ菅原さんに「ちょっと助け合ってください!」って感じでした……。

最初は創作漫画の作法に合わせるのが大変でした。エッセイとは比較にならないくらい、背景を描く量が尋常じゃない。両方デジタル作画なんですけど、 エッセイの場合は連載1話分の作画が3日で終わってたんですよ。でも、創作だと作画に10日ぐらいかかりました。

――『佐々田は友達』では友達関係から性との向き合い方まで、さまざまなテーマが内包されているように思いました。最初の構想では、作品にどういうメッセージを持たせようと思っていましたか?

沢村:トランスジェンダーとしての学校生活をリアルに、かつ当事者も含めて、読んだ人が勇気が出るようなものを描きたいと思ったんです。そのなかでも高校生活を選んだのは、過去の自分が一番ツラかった時期だったからかな。自分を慰めたい時代だったんでしょうね。

高校生って、もう大人目前じゃないですか。特に自分は小中一貫だったので、小学校の頃の友達が中学校もずっと同じだったから、そこで変化があったとは思わなくて。確かに制服は変わったし、体も変わってきちゃったし、悲しいこともあったけど友達はいた。でも、高校に行ったらガラッと全てが変わって。

――それは周囲の環境のなかで、“人”が変わったことが大きかったのでしょうか?

沢村:そうです。本当に小中学校の友達に恵まれました。AくんとKくんっていう友達と20年くらいの仲なんですけど、2人とも性的マイノリティーだったんですよ。他にも、おそらくトランス男性って思われる子が学年に1人いたりとか、いろんな子がいた学校でした。そういった子をいじめるみたいなタイプもいましたけど、勢力として小さかった。絶妙に安心できる場所だったんです。

でも、高校に行ったら、 オープンリーゲイなんて1人もいなかったし、レズビアンを自称してる女の子はいたけど、逆にめっちゃ女の子に対してセクハラ的なこと言うタイプの子とかもいましたしね。もちろん、トランスジェンダーっぽい人もいない。私服校だったんで、個性的な人がいっぱいいるだろうと思って行ったら、めっちゃ均質化された空間だったんで、びっくりしちゃいました。

▲『佐々田は友達』

漫画に描いたことで気づけた友達との関係

――この漫画にはBLのエピソードがありますが、あるシーンの流れのなかに「本当にBLの人に失礼じゃん!」というセリフが入っているところに、誰も傷つけない優しさが見えた気がしました。沢村さんの学生時代につながっているのだなと思いました。

沢村:よかったです。BLのシーンはほぼ実体験で、そういう子がいたんですよ。田中と橘については、今後もっと書いていこうと思うので、はっきりここで「BL詐欺師です」とは言えないんですけど(笑)。

でも、そういうふうにマイノリティをマジョリティに見える人が、ただ面白げに消費して利用する現象が、高校の頃に私の身の回りで起きたことは事実です。それを書くんだったら、優希の「本当のBLの人に失礼じゃん」っていうセリフは必要だと思ったんです。

――ほかにも、美術部のメンバーでの会話の内容も絶妙にリアルでした。こういった部分でも、登場人物の造形的なところは実体験ベースなんですか?

沢村:そうですね。自分が美術部だったんで、あそこは一番、筆が滑るように走るように描きました。菅原さんに「セリフが多い!」って言われた気がします。

――本作のキーパーソンとも言える、優希についてはどうでしょう?

沢村:じつは優希が、さっき話した友達のAくんっていうゲイの子をモデルにしてるんです。ビジュアルではなくメンタル面ですけど。20年ずっと友情が途切れなかったのに、全く理解できない人なんですよ。某大手企業の社員なんですけど、毎晩飲んでて、男を取っ替え引っ替えしてます(笑)。

要領が良くて、頭良くて、明るくて…… 飲み会のコミュニケーションも大得意。みんなが思う「オネエキャラ」をやってのけちゃうんです。約10年前の時点で、仕事の最終面接でゲイとしてカムアウトするようなすごいヤツ。私は全く理解できない。だから、なんでAくんと友達なんだろう?っていうのを解明するためにも、描きたいなと思いました。

――まさに優希の「人生はパーティーチャンスの連続である」というモノローグがぴったり当てはまりそうです(笑)。漫画を描いて解明できたところはありましたか?

沢村:ペラいんですけど、お互い違う世界観を求めていたんだろうと。自分だけの価値観で生きてると、視野が狭くなりがちなので。「自分の見えている世界の外を見てみたい」っていう感覚から、お互い友達で居続けたんじゃないかなとは思いますね。

あと、食への感覚がめちゃくちゃ合うから、そこはシンプルに楽しかったな。でも結局、わからないところは、わからないものとして描いてます。たぶん、“わかんないままでも、いいんじゃないかな”って思うようになったんですかね。

▲漫画に描いたことで気づけた友達との関係を教えてくれた

佐々田と前川、どちらが自分に近いのか?

――沢村さんがご自身を重ねているキャラクターは佐々田かな? と思ったんですが合っていますか。

沢村:たぶん、この物語の誰と近いかと言われたら前川さんが一番近いんですよ。 佐々田みたいな子はクラスにいるけど、「もっとはっきり言えばいいのに」みたいな距離感で見てたタイプです。学生時代の私は、きっと前川さんのような言動をとっていたはずです。

ただ、トランスとしての自分の根底には、佐々田のような部分もあるなって。佐々田って、 ふわふわして当たり障りなくやるということを最大の防御としてる人じゃないですか。(私自身が)過去に全力で黒ずくめの服装をしていたんですけど、自分を守るという行動原理は一緒です。だから、そういう意味では、佐々田でもあり、前川さんでもありだとは思います。

――表現の方法が違うだけ、と。

沢村:そうそう。いま話してて思い出したんですけど、 小1ぐらいの頃の私は、ほぼ佐々田みたいな感じだっただろうと思います。死ぬほど無口で、本当に喋らなくて。親とかに学校のこと聞かれても「忘れた」って。全部覚えてるんですけど、言いたくないから、ちょっとめんどくさいと思っていて。でも、ちょっとした事件があって、自己防衛的にめちゃくちゃお喋りになったんですよ。

――嘘がバレたときみたいな感じですか?

沢村:そうです。そこから前川さんモードに入っただけで。もともとは佐々田のほうが近かったのかもしれないと思いました。

――タイトルの『佐々田は友達』に込められた意味についても教えてください。

沢村:タイトルは「佐々田は友達なんだよ」っていう読者に向けたメッセージです。何か月も決まらなかったんですけど、読者さんによっては全く理解できない瞬間とかがあるかもしれないと思って。それで、タイトルをちらっと見たら、『佐々田は友達』なんだなって。

――物語の終わりはすでに決められているんですか?

沢村:ラストシーンと物語の山は、だいたい決まってます。でも、そこに行く道筋は全く未定です。キャラが勝手に動いて、喋り出すこともあるかもしれないので。最初に思っていたのと全然違うことになることがほとんどですね。

――なるほど。ちなみに、第1巻での“予想外”なシーンはありますか?

沢村:佐々田のカミングアウトは予想外でした。 自分で自分のことを認める、そういったことをあまりにもしたがらないから、 3巻ぐらいかかると思ってました。たとえ自分に対してカミングアウトするにしても、です。そう思っていたら、意外と1巻の最後でしたので意外と早かったですね。

――沢村さんの創作におけるマイルールが気になります。

沢村:私が子どもの頃に読んだら救われる本を描く、ということですかね。たぶん、そこの根っこは、エッセイでも今回の作品を書いてるときも変わらないんです。

▲創作のマイルールは「自分が子どもの頃に読んだら救われる本を描く」

いつも隣にあったのは『長くつ下のピッピ』

――先ほど、創作漫画の作法に合わせるという話もありましたが。

沢村:何かが足りなくて悩んでたときに閃いたのは「ナレーションのおじさんを入れればいいんだ」ってことですかね。イメージは、柳生ヒロシとか森本レオ。最初は、ナレーションなしで始めたんですけど、ずっとモヤモヤしてて。

子どもって、自分の人生をとてもしんどく捉えてるじゃないですか。子どもの視点より、大人のおじさんに子どもを見守らせる視点を入れることで、おそらく 読んでる側も見守られるような気持ちになるはずだと思って。「そこか!」みたいな。

――そのヒントは何から?

沢村:子どもの頃は『長くつ下のピッピ』とか、童話がとにかく好きだったんです。「童話やりたい!」で始まった創作なので、児童文学にするために欲しかったのが、ナレーションだったんです。子どもに語りかける存在が欲しかったんでしょうね。

私は友達には恵まれたけど、教科書に自分のような存在は出てこなかった。バラエティ番組もめっちゃ好きだったけど、しんどかった。広告を見れば「整形しよう」「英会話できるようになろう」みたいな雑音ばかりで、そこから取り残されるなみたいな風潮もあるし。漫画もそうだと思います。大好きな作品は多いのに、しんどいんです。

――進んでいく感覚が、ということですか……?

沢村:そうです。一番好きな漫画を挙げるとしたら『HUNTER×HUNTER』なんですけど、例えば、常に最悪の事態を想定して行動しろ、というかっこいいセリフが出てくるんですが、子どもなので鵜呑みにしちゃったりして。でも、常に最悪を想定して行動するのってしんどいんですよ(笑)。そういうときに、同時に『長くつ下のピッピ』を読んでた自分もいて。私がやりたいのはこっちだなと思いました。

――『佐々田は友達』を中高校生ぐらいの子が読んで「自分より年上の人で、自分みたいに思ってた人がいたんだ」ってことが、大きな救いになると思うんですよね。

沢村:そうだったらうれしいです。エッセイを描いていたときの感覚って、超わかってほしいって感じだったんです。でも、わかってもらうターンは終わったと思ってます。バカみたいに見えるかもしれないですけど、マイノリティな部分がありすぎても、漫画に描いたら100%わかってもらえるんじゃないかと思ってたんです。 私は自己分析も得意だし、描くのも得意だから。この表現力と分析力があれば、みんなに理解してもらえるし、私も自分のことを理解できるだろうと思ったら、全然そんなことはなかった。

――創作意欲の根底にあるモチベーションはなんでしょう?

沢村:それは年々変わっているかもしれません。一応、幼稚園ぐらいの頃から、 アニメ作りたいと思ってました。キャラクターが喋る物語を作りたいとは、ちっちゃい頃から思ってて。でも、その欲望がいつしか「働けないから」に変わったんですよ。

――と言いますと?

沢村:サラリーマンになりたかったんですよ。でも、女の人に生まれたらしいから、社会が決めてる性別の枠で、うまくすり合わせができないなと思ったんです。それって、すごく苦労しそうだなって。でも、作家とか漫画家は、絵が商品だから、そのすり合わせはスルーできるじゃないですか。それで最初は楽しく漫画を描いていたんですけど、今度は「これしかない」っていう思いに首を締められるようになっちゃって。でもエッセイを描くうちに、逆に漫画家になることで目を背けていた部分にも向き合えるようになって。

自分に向き合えたのもやっぱり漫画のおかげというか、最近なんです。ジェンダークリニックに行ったり、親にもカミングアウトして。ひとり暮らしを始めて、やっと人生を自分として生きている、そんな実感が生まれたから、やっと創作漫画に手を付けられるようになった気がします。

――今後、描いてみたいと思っている作品のイメージなどがあれば教えてください。

沢村:どんなエピソードが出てくるかは、まだわかってないんですけど、やっぱり児童文学ベースで描きたいとは思ってます。自分が子どもの頃に欲しかった作品を出していきたいです。

(取材:すなくじら)


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