お金が足りず退去も転居もできない…家賃滞納者が直面する「住む場所を失う恐怖」

私は都内の不動産管理会社の管理部門で働く「債権者代理人」として、日々、家賃滞納者の対応に奮闘しています。

3年前にマンションに入居した30代の山下洋子さん(仮名)は、アパレル関連の会社に勤めていましたが、ある時から会社が業績不振に陥り、のちに失業。そこから家賃滞納が続き、ついには家を強制的に引き渡さなければならない「断行日」を迎えてしまいます。

●前編:【「家賃7.5万円」5カ月滞納の末路…アパレル会社勤務・30代女性が“債務者”になった日】

ついに断行日を迎える

山下さんと二度目の連絡が取れないまま、断行の日を迎えました。断行とは、賃貸契約が切れていながら退去しない居住者に、強制的に部屋を明け渡してもらうことです。そのため、部屋に残っているものをすべて搬出する必要があります。

当日、関係者でマンションの入り口に集合して所定の手続きを済ませました。山下さんの部屋の玄関の前に立ってインターホンを押しますが、またしても反応がありません。

「裁判所執行官です。建物明渡手続きに入ります。玄関を開けてください!」

何度呼びかけをしても応答がないので、今回も技術者に開錠してもらって入室することに。170cmほどあったごみの壁は若干低くなっていたものの、鼻がゆがむほどの悪臭はまだ続いていました。

スーツに匂いがつかないようレインコートを着て室内に入りますが、床を埋め尽くすほどのごみに足をとられ、思うように進めません。

「誰かいますか⁉」

必死に呼びかけをしながら室内を探すと、リビングと思われる場所に山下さんが座っていました。

債務者の中には、追い詰められた状況になると自暴自棄になって飛び降りてしまう人がいます。万が一に備え、私は窓際に立ちながら「山下さんですね? これからする質問に答えてください」と身分証を見せました。

すると山下さんは「母の遺品を探していたんです。真珠のネックレスなんですが……」とうつろな表情で答えます。

「これから室内の残置物を撤去します。途中で遺品が出てくるかもしれないので、速やかに貴重品や当座の衣類を集めて通路に出てください。今、残っている私物は廃棄処分でよろしいですね?」

そう確認する私に対し、既にできることが残されていない山下さんは「ごみだらけですが、処分してください」とだけ言って、ぼうぜんとしていました。

室内のすべてのものが撤去される

その後は待機していた作業員に指示を出し、すぐに残置物の撤去を始めました。

部屋のものをビニール袋に入れてひたすら共有廊下に運び出すのですが、ゴキブリやネズミの死骸が出てきた時には必死に吐き気を押し殺しました。途中、本棚にあった山下さんの両親の遺影を見た時には胸を痛めずにはいられませんでした。

1時間ほどして、ようやく真珠のネックレスが見つかります。念のため確認すると、山下さんは「間違いありません。本当に、本当に、ありがとうございます……」と言い、大事そうに両手で包み込みました。

そうして山下さんは部屋のカギを私に手渡すと、スーツケースとリュックサックを持ち、マンションを立ち去っていきました。作業時間にしておよそ2時間。マンション横の公道に横付けしたトラックに次々とごみが搬入され、断行は終了となりました。

***

仕事とはいえ、私も複雑な思いが消えるものではありません。別のことをしていても、ふと「山下さんはどうしているだろうか」という考えがよぎることがあります。

通常、家を失った債務者は、友人などを頼って家に滞在させてもらうケースが大半です。山下さんも周囲を頼り、そこで生活を立て直せると良いのですが……。

少しでも助けになればと、私も区役所の福祉課の担当者に連絡し、山下さんに何かあった時には対応してもらうようお願いしました。しかし、現実的に言えば高齢者でもなく、本人からの申請もない状況。区の方からの支援を期待することは厳しいのが現状です。

山下さんの事例は、都会の中の「孤独と孤立」を痛いほど感じた事例でした。彼女が家を失う前に何かできることはなかったのか。今も思い出しては自問自答を繰り返す日々が続いています。

※プライバシー保護のため、内容を一部脚色しています。

中標津 勇次/ライター

大学卒業後、証券会社に入社。株式、債券などの市場業務を経験。その後、金融関係会社を経て現在は不動産管理業務に従事。民法他、法律関係業務を得意としている。管理物件で強制退去の執行に関わるうちに、日本の金融教育が不足していることを痛感し、現代人のマネーリテラシーを高めるべく文筆業を開始した。座右の銘は「朝に道を聞かば、夕べに死すも可なり」。

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