【菊池桃子♪斉藤由貴♪倉沢敦美】1985年にリリースされたアイドル3人の「卒業」ソング  1985年にリリースされた3曲の「卒業」を徹底比較!

4曲の「卒業」が同時期にリリースされた1985年

春は出会いや別れ、そして旅立ちの季節。新生活の準備に忙しい人も多いことだろう。そんな人生の転機を彩るのが“卒業ソング” である。歌謡曲やJ-POPには卒業ソングが多い。卒業の心境を歌った曲はもちろん、大切な人との別れを “卒業" に例えたり、歌詞から卒業を想起させたりと、多様な作品が各年代でリリースされている。

特に1985年は、「卒業」というタイトルのシングルが同じ時期に4曲リリースされた異例の年だった。しかも、そのうち3曲は当時全盛だったアイドルの歌。もう1曲はシンガーソングライターの尾崎豊。オリコンや『ザ・ベストテン』で複数の「卒業」がランクインして話題になった。そんなアイドルが歌う3つの「卒業」には、タイトル以外にも共通の特徴が見られた。各曲の歌詞を紐解きながら、共通点を述べてみたい。

“卒業” バトルを勝ち抜いた菊池桃子

まず、3つの「卒業」を発売順に振り返りたい。最も早くリリースされたのが、1985年2月14日発売の倉沢淳美「卒業」である。この曲は、前年3月にデビューした倉沢淳美の4作目。作詞は売野雅勇、作曲は林哲司。卒業式が終わり、誰もいない教室で見たのは、初恋だった “あなた” の机に刻まれた自分の名前だったという切ないシチュエーションが、キャッチーなメロディーに載って歌われる。

次は、2月21日発売の斉藤由貴「卒業」。デビュー曲にして昭和ポップスの定番になったこの曲は、松本隆と筒美京平という最強タッグの作品である。舞台は卒業式。「♪ああ 卒業しても友だちね」と認めつつ、「♪東京で変わってく あなたの未来は縛れない」と相手をおもんばかる歌詞が新鮮だ。

3曲目は、2月27日発売の菊池桃子「卒業 -GRADUATION-」。前年4月にデビューした菊池桃子の4作目。新進気鋭の秋元康が作詞し、これも林哲司が作曲している。歌われるのは、都会へ旅立った “あの人" との想い出をポプラ並木を歩きながら回想するシーン。「♪4月になればここへ来て 卒業写真めくるのよ」と近未来を想像する歌詞が、心に刺さる。

こうして見ると、3曲を貫くテーマは恋愛対象だった男性との別れであり、卒業後に想い出を回想する点も同じ。誰もいない教室、机の傷、胸のボタン、並木道といった表現が見られるのも一緒だ。

この “卒業" バトルを制したのは、オリコン初登場で 1位を獲得して約40万枚を売り上げた菊池桃子だった。彼女の人気の凄さや、秋元さんの曲が最も売れたという事実からは、80年代の主役交代を見るようで興味深い。

卒業ソングはアイドルにとっての勝負曲

そして、、こうしたテーマ以外にも、この3曲には共通点が2つある。1つめは、ヒットの起爆剤となる期待を担った曲であるということ。豪華な制作陣からも分かるとおり、「卒業」というタイトルへの期待が感じられるのだ。

まず、倉沢淳美の「卒業」は、デビュー曲「プロフィール」以降の伸び悩みを打開する一手として、アルバムの先行シングルとしてリリースされた。そのアルバムのタイトルは『卒業 ほほえみがえし Bonjour! Nice et Mallorca』。全曲が卒業までの学園生活をテーマにした作品で、“卒業” に賭ける意気込みが伝わってくる。 また、斉藤由貴の場合は、デビュー曲に「卒業」というタイトルを持ってくるインパクトがヒットに拍車をかけた。そして、菊池桃子は、ヒットした前作「雪にかいたLOVE LETTER」の勢いをキープし、ステップアップを図る勝負曲として、「卒業」をリリースした。

このように、ヒットへの期待を “卒業" に託した理由は、前例の存在も大きかった。1983年春にリリースされた柏原芳恵の卒業ソング「春なのに」である。この曲の大ヒットで彼女は存在感を高め、紅白歌合戦への初出場も果たしたからだ。他にも、1982年春の松田聖子「制服」が、同曲のA面だった「赤いスイートピー」とセットで女性ファンの獲得に貢献したり、アイドルではないが沢田聖子「卒業」のスマッシュヒットも見逃せない。

これらの前例に準じるように、各レコード会社の期待を乗せた3曲の「卒業」は、同名曲の競演効果もあって好調なセールスを記録した。菊池桃子や斉藤由貴はもちろん、倉沢淳美の「卒業」も前作から売上を伸ばしたのである。

女性と男性が卒業に抱く異なる思い

2つ目の共通点は、時代背景が歌詞に反映されていること。3曲の主人公(女子学生)は、大切な人と別れるしかないと卒業前に分かっていて、半ば諦めているようなのだ。

振り返れば、1985年は “男女雇用機会均等法” の施行1年前。女性の社会進出は遅れていた。恋人同士でも、地方から都会に出る男性に付いていくのは経済的・社会的に難しかったか、親が許さない傾向が強かった。斉藤由貴と菊池桃子の「卒業」には都会に行く男性が描かれているが、男性は都会に出ると帰ってこないという「木綿のハンカチーフ」の呪縛に、当時の女子学生はとらわれていた感がある。

だから、倉沢淳美は「♪ほろ苦いメモリー ここに残して大人になってくのね 」と理屈づけたり、斉藤由貴は「♪守れそうにない約束は しない方がいい」と割り切ったり、菊池桃子は「♪あの人の 素敵な生き方 うなずいた私」にしかなれなかったのだ。こうした運命に逆らえない別れが日本各地で見られたからこそ、卒業ソングのテーマになり得たのだろう。

一方、男子学生が卒業に抱く思いは、自分探しや夢だった。それが分かるのが、奇しくも同時期に発売された尾崎豊の「卒業」である。尾崎にとって卒業とは「♪支配からの卒業」であり、学校や社会に疑問を呈しつつ自分の生き方を探る通過儀礼だった。一概には言えないが、卒業に対する男女の思いの相違が歌詞から読み取れるのも、この年ならではである。ちなみに尾崎も、「卒業」のヒットでブレイクを果たす。他の3人と同じく「卒業」で勝負し、見事に成功したのだ。

時代は平成から令和に移り、卒業ソングも多様化している。しかし、時代の価値観が読み取れるのが、昔から変わらない卒業ソングの魅力だ。昭和の終わりに3人のアイドルが歌った「卒業」を、主人公の心情を察しながら改めて聴いてみてはいかがだろう。

カタリベ: 松林建

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