小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=96

 私は神を信じていない。父もそうだ。母は信仰に篤い。どこそこの祈祷師がいいと聞けばでかけた。神様が人間ほど短気なら、気の多い母の鞍替え信仰を罰するだろうが、どの神も母を罰することをしないなどと言い、父は、母の迷い心を窘めることもなかった。新しい宗教に入る度に何日か気分がいいとも言っていたから、母には医師と同じく神も大切な存在だったに違いない。

 手術の前、母は再三、大丈夫だろうかと医師に念を押し、医師は神様でないから何とも言えないが、わしの診るところでは大丈夫です、と言った。母は、全く大丈夫と言ってもらいたかったのだろう。少し淋しい表情になったが、直ぐに、

「きっと神様がママを見守ってくださるわ……」

 と気持ちを落ちつけていた。

 口が利けるようになると、毎日一回、廻診にくる医師をまるで恋人を待つ小娘の心理で待ち焦がれ、何彼と些細なことを訊き、時には世間話もした。医師が去ると、一、二時間ぐっすりと熟睡するのであった。医師が退院してよろしいと言った日も、不安だからもう一日居たいと、だだっ児のようなことを言った。

 退院後の世話も私が引き受けた。一日に何回もおかゆやピュレーを作り、リンゴをミキサーにかけ、医師の指示通りの量を与える。母は時間前からそれを心待ちにしていて、少し遅れると機嫌をそこねたり、味付けが悪いと小言を言ったりした。

 日に日に快方に向かう母の姿を見るのは、骨身を惜しまず働いた甲斐あることで嬉しい。服用と注射の強壮剤は一週間交替に続けた。母は快復した。生まれ変わった色艶のいい顔になり、体重も六キロほど増した。

 

(六)

 

 母の手術から一年半が過ぎた。とある日、買物にでた母は急に眩暈を訴え、居合わせた義姉に抱き抱えられて帰宅した。二、三日後快方に向かったが、盲腸の辺りに痛みを感ずると言い出した。

以前にも盲腸炎の気配があると言われていたのでその延長だと私は思い、父も同じことを言っていたが痛みを感ずるたびに背から全身に電流が走るようだと繰り返えして訴える。癌の再発とも考えられたが、母に心配顔を見せられない。医師の診断を乞うたらと喉まで出かかった言葉も大げさにとられそうで黙っていた。

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