「高岡発ニッポン再興」その137 救済も復興も「現場第一主義」

出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

・阪神大震災時、村山総理、「全て現場に任せる、責任は全部取る」と、リーダーシップを発揮した。

・小里貞利地震対策担当大臣は、現場の声を集め、必要な措置を実施。

・能登半島地震でも、現場第一主義が大切だ。

能登半島地震を受けて、私は被災地の政治家としてどう向き合うべきか、必死に考えています。今回の震災にとどまらず、今後、再び災害が起きる可能性は十分あるのです。被災者をどのように救済し、地域を再建するのか。危機のリーダーが私に教訓を与えてくれるのです。「全て現場に任せる、責任は全部取る」。この言葉で、リーダーシップを発揮したのが村山富市総理です。そして、現場で采配を振るったのは、地震対策担当大臣の小里貞利さんです。当時は、自民、社会、新党さきがけ3党の連立政権です。

1995年1月17日午前5時46分、阪神大震災が発生しました。私は時事通信松江支局の記者で長男が1歳の誕生日を迎えたばかりでした。家族3人で寝室にいましたが、大きな揺れを感じ、思わず長男を抱きかかえました。テレビをつけて、ずっと見続けました。その後、村山さんは総理として初動が遅かったと批判されました。

「私はどうすればいいのか」。これは発生直後の村山さんの言葉です。「総理大臣ともあろう人が」と驚きます。村山さんは、危機管理にはまったく素人だったといいます。

写真)日EU定期首脳会議に出席する村山富市首相(当時)1995年6月19日 フランス パリ 出典)Alain Nogues/Sygma/Sygma via Getty Images

ところがそれから状況は変化します。3日後に、村山さんは、大事な人事を決めます。小里貞利衆議院議員を地震対策担当大臣に任命したのです。小里さんは自民党で、県議会議員からのたたき上げです。一見、地味なイメージですが、「野武士」と言われていました。そして、村山さんはこんな言葉を、小里さんに伝えています。「現地に行って必要と考えたものはどんどんやってください。人事も予算も全部任せます。責任はすべて私が取ります」。

小里さんはその日の深夜に担当大臣として、現地入り。早朝から、ヘリコプターで視察しました。そして、兵庫県庁で、「即断即決、超法規で対応する」としました。「超法規」というのは、なかなか言えない言葉です。総理大臣がそのような方針だったからこそ、小里さんは、「超法規」の姿勢を貫いたのです。

倒壊した住宅を公費で解体したり、仮設住宅を建設したり、どんどん進めていきました。医療や避難民の心のケア、寒さなどこれまで想定していなかったさまざまな課題が出てきましたが、小里さんはこれまでのルールにとらわれず、前に進めました。大事なのは、現場の声です。それを徹底的に集めて、必要な措置を実施したのです。さらに、現地で即断即決できるように、有力な官僚も現場に出向きました。現地に内閣があるようなものです。

村山さんは、自分が素人だからと素直に認め、現場に任せたのです。だからこそ、各省庁の官僚は、懸命に働いたそうです。さらに、危機管理のプロで、副総理も務めた後藤田正晴さんや、当時政界の最大実力者、元総理の竹下登さんも、村山さん、小里さんを支えました。

私は今回の能登半島地震を踏まえても、現場第一主義が大切だと思っています。被災者の救済や復興も、現場の声が最も効果的なのです。私はさまざまな先輩たちから、現場主義の大事さを学びました。阪神大震災から29年。記者から政治家になりましたが、今後も、現場を訪れ、皆さまの声をお聞きします。

トップ写真)阪神大震災 崩壊した高速道路 1995年1月17日 兵庫県 出典)noboru hashimoto/Corbis via Getty Images

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