能登半島地震 被災者の今の思いは

能登半島地震の発生からまもなく2カ月です。今も自宅で暮らせない状態が続く能登町の人たちを、「堀潤モーニングFLAG」のキャスタ―である堀潤さんが取材しました。

お話を伺ったのは、能登町に住むケイトさん。地震の影響で自宅に住めなくなったため、発災直後からガレージで、家族4人と生活しています。

ケイトさん:「一緒にご飯を食べたり寝たりする居住スペース。(Q:ここが暮らしの拠点になっている?)そうです」

未だ断水は続いていて、この状態は来月中旬まで続くといいます。

堀さん:「もうすぐ2ヶ月が経過します。今一番思っていること、伝えたいことはどんなこと?」

ケイトさん:「今やっと復興が徐々にできてきている。ボランティアなど復興に向けた活動がメインになっているというのは生活していて思う」

堀さん:「ガレージの中の暮らしで家族同士どんな言葉を掛け合っている?」

ケイトさん:「最初の頃は地震のニュースを流して怖いねって言ったり、他の地区の状況を知ったりしていたが、今はニュースが減った。だからこそ自分たちも好きなテレビを見てみたり環境をならしていく。いつも通りに戻ってきた方が気持ち的には落ち着く。(家族と)一緒にいて落ち着く場があるというのはすごくいい」

ケイトさんが案内してくれたのは、廃校になった小学校を活用して運営している宿泊施設。震災後は自主避難所として利用され、およそ20人が身を寄せています。

自主避難所運営 多田喜一郎さん:「自主避難施設。公的な避難施設ではない。(Q:いつから開所?)1月1日から。(住民が)集まってくる。私も1月1日からいる。みんながこうして集まって生活を考えてやっている」

廊下には自治体や自衛隊から送られてきた多くの物資が。周辺の住民も支援を求めて集まっているといいます。

多田喜一郎さん:「地域も自分たちで賄うということも考えていかないといけない。全部"お上”に任せていてはだめ」

自主避難所で暮らす滝幸政さん:「一人暮らしだと余震が不安。家にいるのが嫌。多田さんが「ここ来いや」とみんなで話をしていれば寂しくないし。それでここにお世話になっている」

地域の絆が生んだ「共助」。発災からおよそ2ヶ月が経過し、災害関連死の懸念が高まる一方、地元の人が集まるこの避難所には笑顔が溢れていました。

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