「飲酒の文化」は縄文時代から始まっていた…1300年以上にわたり私たちを魅了する〈日本酒〉の起源

(※写真はイメージです/PIXTA)

「日常のコミュニケ―ションの最高の潤滑油」である日本酒。日本の伝統文化や食との結びつきも深い日本酒を知ることは、日本そのものを知ることができます。葉石かおり氏・監修、近藤淳子氏・著『人生を豊かにしたい人のための日本酒』(マイナビ出版)より、日本酒の起源について見ていきましょう。

縄文人が飲んでいた「酒」とは?

日本人の祖先は、一体、どんな酒を最初に口にしたのでしょうか?

それは、日本酒ではなく、果実酒がはじまりのようです。諸説ありますが、縄文時代中期の頃、アルコール発酵するための条件が偶然重なり、山ブドウの酒が最初に飲まれていたとされています。

1953(昭和28)年、長野県富士見町の井戸尻遺跡群から出土した、歴史的にも有名な有孔鍔付土器の内側に、山ブドウの種子が見つかりました。いくつか発見されたこの土器は、アルコール発酵にとって理想的な大きさと形状だったのです。同じ遺跡から、縄文人が飲んでいたであろうカップ状の土器、神棚への供養に使用された可能性のある椀型の土器も出土しています。

山ブドウにはそもそもアルコール発酵に必要な糖が含まれているので、酒が自然発酵する条件は整っていました。山ブドウの皮に付着していたり、空気中に浮遊していたりする野生酵母が糖を吸収してアルコール発酵が進み、酒ができていたと考えられています。

縄文人が初めて山ブドウから立ち上るアルコールの香りを嗅いで口に入れてみたときの感動はどんなものだったのでしょうか。なぜか体が温まり、高揚する気分になり、きっと魔法でもかけられたような魅惑的な体験だったのではないかと思いをめぐらせています。

実は、時を同じくして果実酒だけではなく、穀物酒が飲まれていた可能性もあると言われています。井戸尻遺跡群から、黒く焦げたパンのようなものが発見されました。当時、でんぷんを食べていたならば、でんぷんによる穀物酒も飲んでいたかもしれないという推測に基づいた説です。

ただ、麹がない時代に、糖に分解されないままでんぷんからどうやってお酒ができたのか、疑問をおもちの方も多いと思います。これについては、学者により諸説あるものの、「口かみ酒」が有力とされています。口かみ酒は、人の口で咀嚼されたでんぷんが、唾液の酵素(アミラーゼ)で糖に分解され、空気中の野生酵母の働きでアルコール発酵が行われる仕組みで醸されます。

有孔鍔付土器はでんぷんを吐き出す器として使われていたと推測することができます。縄文時代晩期には、陸稲の籾の発見例が多く、弥生時代の前にも陸稲耕作が行われていたようです。つまり、米があったとすれば、米による口かみ酒もこの時期に始まった可能性を否定できないということです。

ただし、口かみ酒を造るには、でんぷんを含む米を口の中でかみ続けなければならず、かなりの重労働。私の場合、一口サイズの米を、何度頑張ってみても1分以上かみ続けることは困難でした。あごも痛くなり、口内でドロドロになった米を飲み込まずにはいられませんでした。

口かみという辛い作業からの解放となったのが、「麹」の技術革新による「麹酒」の誕生です。麹菌は、空気中に浮遊したり、稲わらにすんでいたり、神棚に備えた餅にカビとして発生したりもします。たまたま器に入っていた米に麹菌が付いて、雨漏りなどで水が加わると、麹菌の働きで米のでんぷんが糖化されます。さらに、空気中の野生酵母によりアルコール発酵が行われ、偶然の産物としてお酒が誕生。古代人がこのことに気付いて工程を再現し、麹酒が飲まれていたのではないかと考えられています。

カビ(麹菌)による酒造りが初めて文献に登場したのは713(和銅6)年から715(和銅8)年頃に編纂されたとされる「播磨国風土記」です。それ以前の記述はありませんが、弥生時代の初め頃には、すでに麹酒が始まっていたのではと推測されています。

麹を使った酒造りは日本だけではなく、東南アジアや東アジアにもあります。ただ、海外ではすべて「クモノスカビ」が使用され、日本酒は唯一、麹菌「コウジカビ」が使われています。日本の四季や風土にも適応している麹菌は、日本酒をはじめ、日本の伝統食に欠かせない存在。こうしたことから「国菌」と呼ばれています。

「神事」と「日本酒」の深い関わり

古から日本酒の原材料である米は、農耕と深い結びつきがあります。よって「酒の神」は「農業の神」であり、「収穫の神」ともされてきました。日本には、今でも「神・酒・人」が一体となった数多くの神事が伝承されています。

神に捧げる御神酒。その酒質は腐っても汚れてもいけない「味酒」である必要があったのです。そのため農作物の豊穣を祈るかのごとく、酒の出来上がりの成果を期待したり、酒が腐らないことを願ったりしながら酒造りがされていました。さらに、神前の御神酒を欠かさずに丹念に酒造りをすることも、神事の大切な一部であるということです。

このような背景から、日本各地に酒造りの神を祭る神社ができ、酒と神の結びつきはより深くなっていきました。弥生時代の後期には神事と共に「神の酒」が記述されるようになり、ヤマタノオロチを退治するときに使われたという「八塩乃酒」(古事記)や、木花咲耶姫が神事に使ったとされる「天甜酒」(日本書紀)などが登場しました。

時代は進み、701年の大宝律令により「新嘗祭」(現在は毎年11月23日)が制度化されました(諸説あり)。新嘗祭とは、宮中祭祀で最も重要な祭礼として行われる、五穀豊穣を祝う収穫祭のことです。

島根県の出雲大社の新嘗祭では、御神酒は今でも古来の方式にのっとって醸されています。製法は、容器に入れた麹と同量の粥状の新米を混ぜ合わせて、2日間仕込みます。この御神酒は「醴酒」と呼ばれ、アルコールもほとんどない甘酒のようなものだそうです。

さて、蔵の神事といえば、どんなことが執り行われているのでしょうか。創業1688(元禄元)年の老舗蔵、「一白水成」を醸す福禄寿酒造(秋田県)の蔵元、渡邉康衛さんに、1年間の神事を教えていただきました。

「私は毎朝必ず、酒造りの神様を祭る『松尾大社』の蔵内の神棚、事務所の神棚とともに仏様に手を合わせています。毎月1日と15日は、神棚の榊、米、水、塩、酒の交換をします。『松尾様の日』である毎月13日は、社員一同が集まり合掌。毎年12月13日には蔵に神主を呼び、醸造祈願のための『松尾祭』を行っています」

また、このような日々の神事について「いつの頃からか、すべて【感謝】だと感じるようになりました。日本酒は自然から与えられるもので造られ、その原料がなければ酒造りができません。いつも酒造りできることへの感謝を胸に、神棚に手を合わせております」(渡邉さん)と、真摯に語ってくださいました。

【写真】毎朝、蔵内の神棚に手を合わせる渡邉さん写真提供:福禄寿酒造

自然への敬愛、尊い祈りが詰まった神事が執り行われるからこその日本酒。日本人として日本酒をいただけるありがたみを感じずにはいられません。

近藤 淳子
一般社団法人ジャパン・サケ・アソシエーション
副理事長、フリーアナウンサー

葉石 かおり
一般社団法人ジャパン・サケ・アソシエーション
理事長 酒ジャーナリスト、エッセイスト

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