「私にはごはんをくれない!」…悲しむ認知症の女性が思わず“笑顔”になった老人ホームスタッフの〈ある声かけ〉【医学博士が絶賛】

(※写真はイメージです/PIXTA)

医学博士・管理栄養士として「食」と「健康」に関わってきた本多京子氏は、栄養面だけではない「食事」の重要性を説きます。本多氏の著書『60代からの暮らしはコンパクトがいい』(三笠書房)より、人生を豊かにする「食生活」について、詳しくみていきましょう。

もうそろそろ料理も「見た目」から解放されていい

長年、「食」の仕事にたずさわってきて気づいたことがあります。それは、「食事は楽しくなければダメ」ということ。

人生を豊かにしてくれる食生活にとっては、豪華なフルコースの食事より、ちょっとしたおいしい果物やお菓子であっても、それで楽しい時間を過ごすことがずっと大事なことなのだと思います。

知り合いの栄養士さんから、とても興味深い話を教えてもらいました。

彼女は老人ホームで仕事をしているのですが、そこには、認知症のお年寄りがたくさんいます。その中に、食事をした途端に食べたことを忘れるおばあさんもいるそうです。ホームには、スタッフがゆっくり食べさせてあげないと食事ができない人がいる一方で、自分でさっさと食べられる人もいます。

スタッフがゆっくり食べさせている間に、自分で食べられる人は食べ終わってしまうため、認知症があると、「私にはごはんをくれない!」と言い張るのだそうです。そうすると、忙しいスタッフは最初はなだめていても、ときには「さっき食べましたよね!」と言ってしまうこともあります。

でも言われたほうは、本当に忘れてしまっているから、とても悲しそうな顔をするのだそうです。「私にだけ、ごはんをくれない」と。

その様子をこの栄養士さんは見ていて、どうせ忘れてしまうなら、「いい忘れ方」をさせてあげようと思ったのです。

ごはんをくれないと騒いでいるおばあさんに、声をかけました。

「おいしい新米の季節ですね。コシヒカリっていうお米、知っている?」

もちろん、「知っている」と答えます。

そこで「新米のコシヒカリの炊き立てって、おいしいと思わない?」と言うと、「そうだね」と返します。そしてこう言うのだそうです。

「今ね、ちょうど炊いているところだから、炊き上がったら〇〇さんに一番に持ってくるからね、ちょっと待っててね」

こう話すと、本当にうれしそうな顔をするとか。でも数分後には、「炊き上がるのを待っている」ことも忘れてしまうのですが……。

「どうせ忘れるなら、脳がイヤな信号を受けるような言葉は発しないで、いいことが脳に浮かぶような会話を心がけているんです」とその栄養士さんが言ったとき、思わず私は、「あなた、天職ね! 素晴らしい!」と言いました。

たとえ認知症が進んでいても、人はおいしい食べ物のことは覚えています。食べ物の力は本当にすごいなとあらためて思いました。大好きな食べ物のことを思い浮かべて、うれしそうな顔をしない人はいませんよね。

私たちは、たんに食べ物の「成分」を食べているわけではありません。栄養計算をして、栄養満点の完璧な食事をしたから幸せというわけではないのです。

この栄養士さんのように、ちょっとした言葉をかけるだけで、同じ食事が幸せな食事に変わります。

食べ物は“感性”に直結する

かつて娘が小さいとき、保育園の行事でお弁当を持っていくことがありました。そんなときは、いわゆる「キャラ弁」のような料理の本に出てくるカラフルなお弁当を張り切ってつくったものです。

遠足があった日、娘に「今日のお弁当どうだった?」と聞くと、「イマイチだった」と言います。「どうして?」と聞くと、「“日本人の魂”が入っていなかったから」との答え。不思議に思って、次の日に保育園に娘を送っていったときに先生に尋ねてみました。すると、こんなことがあったそうです。

娘のお友だちの中にはアレルギーがあって、色どり豊かなお弁当にはならない子がいました。その子が、うちの娘のお弁当を見て、「おいしそうで、うらやましい!」と言ったのです。

そのときに先生が言った言葉が忘れられません。

「〇〇ちゃんのお弁当もきれいでいいけど、△△ちゃんのお弁当は日本人の魂が入っているからすごいね」と。

日本人の魂とは、梅干しの入ったおにぎりのことでした。以来、うちの娘にとっての「いいお弁当」は日本人の魂が入っているお弁当になったのです。

それからは、お弁当をつくるときに「何を入れる?」と聞くと、娘は「“日本人の魂”が入っていればいいよ」と答えるようになりました。先生の言葉かけひとつで、お友だちのシンプルなお弁当は自慢のお弁当に変わったのです。

食べ物は感性にダイレクトに響きます。たとえば、この食べ物の中にビタミンとカロテンが入っています、と知ることはたしかにいいことです。でも食べることそのものが、私たちが生きる上で重要です。

そして、人が一生のうちで食事をする回数には限りがあります。とすると、年齢を重ねるほど1回1回の食事の重要度は高まるのではないでしょうか。

ですから、この栄養素が入っているから体にいいですよ、ではなくて、60代からは食べること自体をもっと大切にしていかないと損なのです。

本多 京子
医学博士、管理栄養士

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