和歌山県・広川町 梧陵創設の耐久社で記念講座

硬式野球部の創部から119年で初めて甲子園出場を果たした和歌山県立耐久高校の前身、「稲むらの火」で知られる偉人・濱口梧陵(はまぐち・ごりょう)が創設した耐久社の記念館でおととい(2月25日)、耐久社について解説する講座が開かれました。

耐久社記念館で開かれた講座(2024年2月25日)

これは、和歌山県湯浅町にある県立耐久高校が初めて甲子園出場を果たしたのを記念して、耐久高校のルーツである耐久社の歴史についてあらためて知ってもらおうと、稲むらの火の館の崎山光一(さきやま・こういち)館長が進行役となって開いたものです。

進行役を務めた崎山館長

講座では、崎山館長が、耐久社の歴史を振り返り、日本に黒船が来航する中、嘉永5年、1852年に濱口梧陵が、剣術や槍術、国学や漢学を教える「広村稽古場」を創設し、2年後の安政の南海地震による大津波で被災したものの、翌年には再興され、さらに、慶応2年・1865年、濵口家の菩提寺、安楽寺(あんらくじ)の移転に伴い、寺の東隣りに拡大移転し、その際、永く続くようにと、「耐久社」と命名されたことが紹介されました。

講座には、地元・広川町などから歴史に関心のある人たちが参加し、﨑山館長が示す、明治、大正、昭和の時代に撮影された耐久社や、その周辺の写真を見て、当時の様子を語り合い、思い出話に花を咲かせていました。

写真を見ながら参加者が思い出話に花を咲かせた

講座に参加した広川町の梅本萬里子(うめもと・まりこ)さん85歳は、「耐久社が安楽寺から現在の場所へ移転したことなど、知らないことたくさんあり、勉強になりました。私自身は、60年以上前に嫁いできましたが、私の夫や息子は耐久のOBなので、甲子園には応援に行きます」と話していました。

ナイアガラの滝の前に座る濱口梧陵

稲むらの火の館の崎山館長は、「楽しい会にしてもらえてよかった。参加者には、耐久中学校の卒業生でない人が多く、広川町に来て初めて耐久社のことを知った人もいたと思うが、甲子園出場を機に、あらためて考えてもらうきっかけになれば」と話し、甲子園出場については、「無理な練習でけがをすることなく、19人全員で開会式にのぞみ、入場行進してもらいたい」と話しました。

県立耐久高校は、来月(3月)18日に阪神甲子園球場で開幕する第96回選抜高校野球大会に和歌山県から21世紀枠で出場する県立田辺高校とともに出場します。組み合わせ抽選会は、今月8日に行われます。

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