<多久物語>御屋敷御古家御指図 再建後の多久家上屋敷描く

「御屋敷御古家御指図」(多久市郷土資料館蔵)に描かれた多久家上屋敷の門 

 現在開催中の多久市郷土資料館冬季企画展「多久家資料の世界―300年間の記憶をたどる―」(4月7日まで)より、「御屋敷御古家御指図」を紹介します。多久領主とその家族は普段佐賀城内の多久家上屋敷に住んでおり、本資料はその間取り図です。

 もともと多久家上屋敷は、佐賀城の二ノ丸として建てられました。しかし本丸・二ノ丸の場所を佐賀城の南東部に移すことになり、1611(慶長16)年6月、佐賀城の本丸が完成すると、初代藩主鍋島勝茂が本丸に移り、もとの二ノ丸に多久領初代領主多久安順が居住することになりました。それから幕末に至るまで、多久領主はこの場所に居住します。このような経緯から、藩主は参勤交代の出発時や帰国時、多久家上屋敷に滞在することが通例となりました。

 1656(明暦2)年3月19日、多久家上屋敷は焼失し、その後再建されます。本資料は再建後の建物を描いたと考えられ、強固な塀で囲まれ、南に大きな門が描かれています。トイレが22カ所、かまどが28基ある大きな屋敷で、敷地内には馬小屋や馬場も設けられていました。図の中央には赤で加筆されており、増築が計画されていることがうかがえます。

 多久家上屋敷跡は現在、佐賀県庁の職員駐車場となっています。

 本資料は縮小複製を展示しています。(多久市郷土資料館 志佐喜栄)

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