Doaa Rouqa
[デイルアルバラ(ガザ) 26日 ロイター] - 動物用のえさで作った苦いパンで命をつないできた3人の兄弟が、ハルバと呼ばれる中東の伝統菓子を容器からそのままスプーンですくって食べていた。パレスチナ自治区ガザの北部ガザ市の家から、食べ物を求めて中部デイルアルバラのテントまで逃げてきたのだ。
セラジ・シェハダ君(8)、イスマイル君(9)、サード君(11)の3人は、叔母のテントまでこっそり逃げてきたと語る。
「ガザ市にいる時は食べ物が何もなかった。1日おきにしか食べられなかった」とセラジ君。「鳥やロバのえさとか、とにかく何でも食べた。毎日、毎日。こんな食べ物じゃなかった」と、ハルバをほおばりながら話す。
昨年10月7日にイスラム組織ハマスがイスラエルを奇襲攻撃して以来、食料不足はガザ全体で問題となっているが、いつまでも支援物資の配給が少ない北部は特に深刻だ。
まれに支援物資を積んだトラックが北部までたどり着くと、飢えて切羽詰まった群衆に襲われる。支援職員によると、人々はやせ細って目はくぼみ、飢餓に苦しんでいるのが一目瞭然だという。
ガザ地区中部は少しましだが、楽な状態とは程遠い。
デイルアルバラの北にあるヌセイラット難民キャンプでは、家を無くして学校に身を寄せたワルダ・マッタルさんが、ガーゼに包んだナツメヤシ(デーツ)を生後2カ月の赤ん坊にしゃぶらせていた。ミルクの代わりだ。
「生まれたばかりの息子には、乳幼児用ミルクでも粉ミルクでもいいからミルクを飲ませるべきなのに、それができない。ガザにはミルクが無いから。泣きやませるためにナツメヤシをあげることにした」
<1日おきに小さな1切れ>
デイルアルバラのテントにいる3人の兄弟は、戦争で母ともう1人の兄弟と何人かの叔母を亡くしたと語る。残ったのは自分たちと父と祖母だが、動物のえさで作ったパンぐらいしか食べ物は無かった。
「つらかった。あんなもの食べたくなかったけど、食べるしかなかった。2日おきに、小さい1切れだけ」とサード君。しょっぱい水を飲んで具合が悪くなったし、体や服を洗う水も無かったと語る。
「デイルアルバラには内緒でやって来た。お父さんには言ってない」
叔母のエマン・シェハダさんは、できる限りこの子たちの面倒を見ている。妊娠後期の彼女は戦争で夫を亡くし、よちよち歩きの娘と2人で残されたという。
ジャガイモ1キロたりとも買うお金は無く、「必要な栄養が採れないから疲れてめまいがする。この子たち3人と自分の娘を抱え、自分は妊娠していて、どうやって生きていけるのか。いつ生まれてもおかしくないというのに」と嘆いた。