インドネシアの鶏事典 インドネシアの鶏にまつわるあれこれ

酉年にちなむ特集です。「鶏」にまつわるインドネシア語、ことわざ、遊び、歌、昔話などをまとめました。

インドネシア語

鶏の鳴き声

Kukuruyuk【ククルユック】 コケコッコー 朝に鳴く雄鶏の声
Petok-petok【プトックプトック】 コッコッコッコッ 普通の鳴き声
Tekotek kotek【テコテコテック】 コーッコッコッコッ 卵を産んだ後の雌鳥の声
Ciap ciap【チアップチアップ】 ピヨピヨピヨ ひよこの声

鶏の呼び方

Ker ckckckck【クール、チッチッチッチッ】
鶏に呼びかける時に使う言葉

鶏を使った言葉

ayam kampus(キャンパスの鶏) 売春をする女子大生
bapak ayam(鶏の父親) 子供のことを顧みない父親
bulu ayam(鶏の羽) 鶏の羽で作ったはたき

fondasi cakar ayam(鶏の足の基礎) 鶏の足に似た基礎

layar bulu ayam(鶏の羽の帆) 三角形の帆

lepas ayam(放たれた鶏) 完全に自由であること
nyekerceker=鶏の足) 裸足
rabun ayam(鶏のかすんだ視力) 鳥目
sabung ayam(鶏の戦い) 闘鶏
tidur-tidur ayam(鶏の睡眠) うたた寝

鶏の基礎用語

jengger ayam とさか
paruh ayam くちばし
bulu ayam
ceker
ayam jantan 雄鶏
ayam jago 雄鶏
ayam betina 雌鳥
ayam petelur 雌鳥
anak ayam ひよこ
dada ayam 胸肉
sayap ayam 手羽、手羽先
paha ayam もも肉
hati
ampela 砂肝
jantung ハツ
brutu 鶏の尻の部分の肉
tahi kotok 鶏糞

鶏の出てくることわざ

Ayam baru belajar berkokok. 鶏が鳴き方を覚える
=大人になった

Ayam berlaga sekandang. 同じ鳥かごの鶏がけんかする
=家族げんか

Ayam bertelur di atas padi, mati kelaparan. 鶏が稲の上で卵を産み、餓死する
=豊かな国で飢える。財産はあるが苦難に遭う

Ayam ditambat disambar elang, padi di tangan tumbuh lalang. つながれた鶏がワシに襲われ、手の中の稲にチガヤが生える
=災難に見舞われる

Ayam seekor bertambang dua. 1羽の鶏が2羽と婚約する
=1人の女性が2人の男性に好かれる

Ayam tidur senang di dalam reban, musang yang susah beredar sekeliling. 鶏は鶏小屋の中で安心して眠り、困ったジャコウネコは周囲を歩き回る
=他人の幸福を嫉む

Asal ayam hendak ke lesung, asal itik hendak ke pelimbahan. 鶏は米搗き器へ入りたがり、アヒルは下水の溝に入りたがる
=性格は変わらない

Anak ayam kebasahan bulu. ひなが羽を濡らす
=何かが気になって落ち着かない

Bagai ayam diasak malam. 夜の鶏
=お手上げ

Jangan memangku ayam jantan, baik memangku ayam betina. 雄鶏を膝に抱くな、雌鳥を膝に抱け
=正しい方法で富を得よ

鶏の名前の英雄

ハヤム・ウルック Hayam Wuruk
「学識のある鶏」の意味。マジャパヒト王国の王(在位1350–89)。大宰相ガジャ・マダ(Gajah Mada)とともにマジャパヒト王国の最盛期を築いた。コタの中心部を南北に走るハヤム・ウルック通りとガジャ・マダ通りは2人の名前に由来する。

東の雄鶏 Ayam Jantan dari Timur
スルタン・ハサヌディン(Sultan Hasanuddin、在位1653-69)の別称。スラウェシ島マカッサル王国の王で、オランダと勇敢に戦い、「東の雄鶏」と呼ばれた。

鶏の教会

中央ジャカルタのパサール・バルにある、オランダ時代に建てられた教会。「GPIB (=Gereja Protestan di Indonesia bagian Barat)Pniel」(ペヌエル西部インドネシア・プロテスタント教会)が正式名称だが、「Gereja Ayam(鶏の教会)」の名前で知られる。風見鶏と鶏のステンドグラスがある。鶏は、「イエスの弟子のペテロが、鶏の鳴く前に3度、イエスを否認した」との故事に基づくもの。神を否認しないように、いつも心に留めているように、との意味が込められている。
Jl. K.H. Samanhudi No.12, Pasar Baru

鶏の歌

子供の数え歌

**Anak Ayam
ひよこ**

Tek kotek, kotek kotek
Anak ayam turun berkotek
Tek kotek, kotek kotek
Anak ayam turun berkotek
コーッコッコッコッ
ひよこが鳴きながら下って行くよ
コーッコッコッコッ
ひよこが鳴きながら下って行くよ

Anak ayam turunlah empat
Mati satu tinggallah tiga
Anak ayam turunlah tiga
Mati satu tinggallah dua
下ったひよこは4羽
1羽が死んで3羽残った
下ったひよこは3羽
1羽が死んで2羽残った

Tek kotek, kotek kotek
Anak ayam turun berkotek
Tek kotek, kotek kotek
Anak ayam turun berkotek
コーッコッコッコッ
ひよこが鳴きながら下って行くよ
コーッコッコッコッ
ひよこが鳴きながら下って行くよ

Anak ayam turunlah dua
Mati satu tinggallah satu
Anak ayam turunlah satu
Mati satu tinggallah induknya
下ったひよこは2羽
1羽が死んで1羽残った
下ったひよこは1羽
1羽が死んで母鶏が残った

子供の歌の作者として有名なAT・マフムッド(AT Mahmud、1930-2010)作。幼稚園の子供が「引き算」を学習するための歌として使われる。元の歌は「4羽」から始まるが、「10羽」から始めて、「0」まで減らしていっても良い。繰り返しの「テコテコテック」がリズミカルで楽しいが、内容は残酷。

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パダン地方の歌

**Ayam den Lapeh
私の鶏は逃げた**

Luruihlah jalan Payakumbuah
Babelok jalan ka Andaleh
Dima hati Indak Karusuah
Ayam den Lapeh..
パヤクンバ通りを真っ直ぐ
アンダレに向かって曲がる
心が不安にならないためにはどうしたらいい
私の鶏は逃げた

Aii Aii Ayam den Lapeh..
ああ、ああ、私の鶏は逃げた

Mandaki jalan Pandai Sikek
Manurun jalan ka Palupuah
Dima hati indak ka Maupek
Awak takicuah..
パンダイ・シケックへの道を上る
パルプアへの道を下る
内心で悪口を言わないためにはどうしたらいい
私はだまされた

Aii Aii ayam den Lapeh…
ああ、ああ、私の鶏は逃げた

Saikua capang saikua capeh
Saikua tabang saikua Lapeh
lapeh lah juo nan karimbo
oi lah malang juo…
1羽は飛び、1羽は逃げた
森へ逃げた
かわいそうに

Pagaruyuang Batusangka
Tampek bajalan urang Baso
Hai duduak tamanuang tiok sabanta
Oi Takana juo…
パガルヤン、バトゥサンカ
バソの人々が歩く場所
座るといつも考えてしまう
思い出してしまう

Aii Aii Ayam den lapeh…
ああ、ああ、私の鶏は逃げた

「鶏」を使ったインドネシアの歌と言えば、これ。西スマトラ島パダンのミナン人の歌。アブドゥル・ハミッド(Abdul Hamid)作。ミナンの4行詩で、地名を織り込みながら、先立ってしまった愛しい人への思いを歌う。「鶏」は「亡くなった人」の暗喩。置いていかれたことに対して「だまされた」ような思い。忘れようとしても、いつも考えてしまい、思い出してしまう。

遊び

Ayam-ayaman ①指相撲(手を組み、相手の親指を押さえる)

②スンダ地方の遊び。1人が鶏、1人がジャコウネコ(musang)になり、ほかの人たちは手をつないで輪を作る。ジャコウネコが鶏を追いかけ、鶏は逃げる。輪になった人たちは鶏の味方で、鶏を守る。輪の中に鶏が逃げ込んだら、ジャコウネコが輪に入ろうとするのを邪魔したりする。


Bunga Jengger Ayam 鶏のとさかの花=ケイトウ

昔話「チンデララスと雄鶏(Cindelaras dan Ayam Jago)」

むかしむかし東ジャワに、ジェンガラという王国がありました。王様の名前はラデン・プトラ。王様には妃と愛人がいました。王様は2人とも愛していましたが、愛人は妃が身ごもったことを知り、自分の立場が危うくなることを恐れました。

ある日、愛人は重い病気にかかりました。王様は大変心配しました。診察した祈祷師は「毒による病気」だと述べ、毒を盛ったとの疑いが妃にかかりました。怒った王様は、妃を森へ連れて行って殺すように、宰相に命じました。妃は疑いを解こうとしましたが、王様は聞く耳を持ちません。

妃は森へ連れて行かれてしまい、愛人が新しい妃となりました。愛人とグルだった祈祷師はたんまりとご褒美をもらいました。

しかし、実は、妃は殺されていませんでした。宰相は、妃がどんな人かを知っていました。悪事を働くはずがないと思い、愛人の言葉を疑っていました。宰相は妃のために、森に小さな家を建ててあげました。鹿を殺し、刀についた鹿の血を、妃を殺した証拠として宮殿に帰りました。

妃はやがて、男の子を産みました。男の子はチンデララスと名付けられました。チンデララスは森の動物たちと遊びながら大きくなりました。

ある日、大きな鷲が飛んで来て、鶏の卵をチンデララスの膝の上に落としました。卵は無事にかえり、ひなは雄鶏になりました。体はそれほど大きくありませんし、羽の色も普通で、特に目を引くところはありませんでした。しかし、ある時、この雄鶏は鳴き声を上げました。

「コケコッコー
チンデララスの雄鶏
住まいは森の中
屋根はヤシの葉
父親はラデン・プトラ」

チンデララスはびっくりしました。鶏を飼ったことはありませんでしたが、鶏がどう鳴くかぐらいは知っています。それも、言葉をしゃべるなんて、聞いたことがありません。しかし、鶏が言っていることはでたらめではないと思いました。鶏の言葉は「自分は誰なのか?」という、以前からの問いに答えるものでした。

チンデララスは母親に尋ね、ついに、何が起きたかを教えてもらいました。チンデララスは父親に会う決心をし、鶏を連れて、王宮に向かって出発しました。

王宮へ行く道の途中で、人々が集まって、お金や物を賭けて、闘鶏をしていました。人々はチンデララスが雄鶏を連れているのを見ると、闘鶏に誘いました。大事な雄鶏を傷つけたくないし、賭ける物も持っていないチンデララスは、まったく気乗りがしませんでしたが、人々が無理強いするので仕方なく参加することになりました。賭ける物がないので、自分を賭けました。負けたら奴隷になるのです。

ところが、チンデララスの雄鶏はそれほど体も大きくないのに、次々に試合に勝っていきます。どれだけ戦っても疲れを知らないようですし、体もまったく傷つきません。こうしてすべての試合に勝ち、チンデララスは賭けられていたお金や物を全部、手に入れました。

チンデララスと雄鶏は一躍、有名になりました。その名声は王宮にまで届き、王宮で勝負をすることになりました。王様は自分の雄鶏に自信満々で、王宮を賭けました。それに匹敵する物を持っていないチンデララスは、自分の命を賭けることになりました。

2羽の雄鶏が放たれました。王様の雄鶏は大きく、強く、凶暴です。それに対して、チンデララスの雄鶏はまったく普通でした。王様の雄鶏はチンデララスの雄鶏に襲いかかりましたが、チンデララスの雄鶏は軽快に身をかわします。そして突然、反撃に移りました。蹴り1発で、王様の雄鶏はバタッと倒れました。チンデララスの雄鶏は攻撃の手を緩めず、王様の雄鶏はついに逃げ出してしました。

王様は負けを認め、王宮をチンデララスに譲りました。その時、雄鶏が鳴きました。

「コケコッコー
チンデララスの雄鶏
住まいは森の中
屋根はヤシの葉
父親はラデン・プトラ」

びっくりした王様は、チンデララスに話をすっかり聞きました。森に住む妃に迎えが出され、妃は王宮に戻り、愛人と祈祷師には罰が下されました。

チンデララスは王位を継ぎ、公正に国を治めました。国は栄え、人々は幸せに暮らしました。

闘鶏で勝ち抜く雄鶏が幸運をもたらす。チンデララスの雄鶏は「見かけは普通だが、強い」という所に人々のあこがれが見えるような……。それにしても、自分、王宮、命まで賭けてしまうのだから、ハンパじゃない。

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