「僕は母に捨てられた」小学1年生で抱えたトラウマ 2回捨てられたくない…半身不随の祖母を必死で支え【福井・ケアリーバーの現実】

中学生に勉強を教える冨永さん。「将来は社会福祉士になりたい」と話す=1月17日、福井県福井市の「やまりすの家」

 「僕は母に捨てられた」

 古びたアパートの6畳間。祖母と母が声を張り上げ言い争っていた。小学1年生だった冨永真人さん(25)=福井県福井市=は、部屋の隅でじっとしていた。

 アパートを出て行こうとする母に、祖母が言った。「この子はどうするんや」。母は冨永さんを指さし「産まんとけばよかった」。それ以来、母とは会っていない。

 母に捨てられた日のことはトラウマ(心的外傷)になっている。いつしか「じゃあ産まなきゃよかったのに。僕を殺してから出て行けばよかったのに」と思うようになった。

 今思えば、母から虐待を受けていた。一緒の布団に入ろうとすると「何で来るんや」と蹴られた。たたかれたり、つねられたりもした。冨永さんは「ごめんなさい」と謝り続けた。

 全国の児童相談所が2022年度に児童虐待の相談を受けて対応した件数は21万9170件。統計が始まった1990年度から32年連続で増加している。福井県は922件だった。

  ■  ■  ■

 冨永さんと祖母の2人の生活が始まった。一度も会っていない父のことを聞くと、「行方不明か死んでいるか分からん」とはぐらかされた。

 小学生の時、祖母が病気で半身不随になった。車いすを押して病院に連れて行くため、学校を休んだ。「2回捨てられたくない」。祖母を必死で支えた。

 家計は厳しく、食事は給食だけの日もあった。土日も1食だけだった。運動会の昼食は、同級生から離れ、1人で教室で食べた。先生がコンビニ弁当を買ってくれたこともあった。

 中学1年の春先、祖母が入院し、冨永さんは児童相談所に保護された。しばらくして祖母は亡くなり、その年の夏から越前市の児童養護施設で暮らすことになった。転校先の中学校で自転車通学になったが、それまで自転車に乗ったことがなく夏休みに練習した。

  ■  ■  ■

 冨永さんは高校卒業後、施設を退所し1人暮らしを始めた。介護施設、工場、飲食店、物流倉庫…。いろいろな仕事に就いたが、どれも続かなかった。

 上司に怒られると、トラウマがよみがえり体が震えた。「すいません」しか言えなかった。身元保証人がおらず、就職活動で不採用になることもあった。

 うつ病と診断され、生活保護を受けた時期もあった。眠れず、体も動かなかった。「生きることに必死じゃなくなった。嫌なことがあれば逃げればいいし、最悪死ねばいい。家族もいないし、誰も困らないと思っていた」

 いろいろな縁で22年11月から、家庭に事情がある子どもに居場所を提供しているNPO法人「やまりす」(福井市)で働き始めた。小中学生に勉強を教えたり、一緒に遊んだりしている。ある女児からは親しみを込めて「トミー」と呼ばれている。

 今回は、これまでの仕事で最も長く続いている。冨永さんは「ここで経験を積みながら、もっと勉強して、社会福祉士になって、児童福祉に関わっていきたい」と考えている。

 気持ちが前向きになった今も、母から必死で逃げる夢を見る。母への憎しみが消えないまま、自分は温かい家庭を築けるのか、と強い不安がつきまとう。

  ×  ×  ×

 児童養護施設の入所者は原則18歳で退所し、自立を求められる。頼れる家族がなく、暮らしが行き詰まるケースもある。施設出身者ら「ケアリーバー」の現実を通し、社会的養護のあり方を考える。

© 株式会社福井新聞社