閉校の中学に被爆クスノキ2世 平和教育に生かして 植樹時知る市民ら願い 廃校舎活用、現状は不透明 兵庫・丹波

旧山南中学校の生徒たちが世話し、大きく育った「永遠の木」=丹波市山南町谷川

 学校統合で昨年春に閉校した旧山南中学校(兵庫県丹波市山南町谷川)の校舎裏にある2本のクスノキ。「永遠(とわ)の木」という名前が付けられている。長崎の原爆投下を生き残った親木の種を育てた「被爆2世」で、同校の平和教育の象徴として20年余りにわたり生徒に見守られてきた。だが今、その将来は廃校舎の活用と同様に不透明な状況が続いている。植樹当時を知る人たちからは「引き続き平和教育に役立ててほしい」との声が上がっている。(那谷享平)

 1945年8月9日、長崎へ落とされた原爆の爆心地近くにクスノキがあった。長崎市や被爆者らが、この木から採った種を苗木に育てて各地に配る活動を展開。今も全国各地で植樹が行われている。

 旧山南中のクスノキもその一つ。かつての生徒の記録によると、2001年に今の場所に植えられたという。苗の贈り主は、長崎県で語り部活動をしている被爆者の末永浩さん(88)=長崎市。修学旅行で平和学習に訪れた同校の生徒たちの熱心な姿勢に感銘を受けての行動だったという。

 同年2月に植えた1本目の木が枯れかけたため、再び苗木を送ってもらい、5月に植樹。結局2本とも元気に成長した。「数十センチの苗がこんなに大きくなるとは思いもしなかった」。00年当時に3年生だった丹波市の小学校教諭、北村皆子さん(38)は当時を振り返る。

 旧山南中では1999年から生徒の有志が「平和推進委員会」を結成し、被爆者との交流や海外の戦地への募金活動などに力を入れてきた。北村さんは2、3年生のときに初代委員長を務めた。

 同校で勤務経験があり、長年平和教育に尽力してきた青垣中学校教諭の八木八千代さん(61)は「修学旅行前だけでなく、生徒たちが平和について学び、活動したのが委員会の特長。丹波市は平和学習に熱心な地域で、その先駆けのようなもの。永遠の木が活動の支えになっていたと思う」。

 旧山南中は2023年4月で和田中と統合し、別の場所に新築された校舎で新山南中として再出発した。市資産活用課によると、廃校舎の用途は未定。市の公的施設としての再整備はしない方針といい、地元住民や民間企業による利活用策を模索している。

 クスノキは現状のままにしておくことが決まっている。新校舎への移転も検討したが、土地に余裕がない上に、移植時に枯れる可能性もあるため断念したという。

 新山南中によると、現在「平和推進委員会」は設けていないが、平和教育には力を入れているという。「旧山南中の平和教育の核だったもの。何らかの形で生かせれば」とする。

 北村さんは「この木を植えた経験は貴重だった。被爆地のことを伝えるものに直接触れる機会は大切。移植はできなくても、子どもたちにとって身近な存在であり続けてほしい」と話している。

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