東京女子プロレス・上福ゆき「アンチばかりで悔しかったから続けてきた」

東京女子プロレス所属の上福(かみふく)ゆき。芸能界から女子プロレスラーに転身した異色の経歴を持つ。ゼロからプロレスをはじめ、アンチに何を言われようとも信念を貫き、独自のスタイルでリングに上がって、今や人気プロレスラーの一人となった。そんな彼女の魅力を、ニュースクランチ編集部がインタビューで紐解いていく。

▲上福ゆき【WANI BOOKS-“NewsCrunch”-Interview】

コンプレックスを活かしたくて進んだ道

「女子プロレスラーらしくない、女子プロレスラー」。それが上福ゆきである。身長173センチ。そして、なによりもスラッと伸びた長い脚。こんな女子プロレスラー、日本ではなかなかお目にかかれないし、いったいなぜ彼女は女子プロレスラーになったのか? ここに至るまでには波瀾万丈かつ紆余曲折な人生があった。

「産まれたときから4キロあって、ずっとデカかったんですよ。クラスでも常にいちばん大きくて。中学生のときアメリカに留学して、さすがにアメリカ人には私より大きい子がたくさんいるだろうと思っていたら、私のほうがでっかくて(苦笑)。ずっと、この背の高さがコンプレックスだったんです」

背が高い子は中学でも高校でも、あらゆる部活から引っ張りだこになる。バレーボールやバスケットボールで活躍することで、そのコンプレックスは解消されるものなのだが「そういう“背が高いヤツは、とりあえずスポーツをやらせておけ”みたいな大人の考え方が大嫌いだった」と、彼女はみずからスポーツに背を向けた。

そして、長身コンプレックスを財産に変えるべく選んだのが、芸能界への道だった。長身を活かしてのモデル活動、レースクイーンやグラビアアイドルなど華やかな道を歩み始めたのだが、どれもこれもうまくいかない。

それは、彼女の「人に媚びたくない」という信念が、さまざまな局面でブレイクを阻害してしまったから。このままではコンプレックスに押しつぶされてしまう。なんとかしたい! と当時の所属事務所に相談すると、2つの選択肢を提示された。

「ひとつは“エッチな仕事をする?”、もうひとつは“プロレスラーの高木三四郎に紹介しようか?”。あとひとつ、不動産関係の仕事も薦められたけど、それはもう私の中では聞こえないレベルの話で、事実上、二者択一ですよ。

つまり“エロいこと”をやるか“プロレス”をやるか? その二択を迫られて、私はプロレスを選んだ。その時点でプロレスを見たことがなかったから、アジャ・コングさんとアントニオ猪木さんぐらいしか、プロレスラーも知らなかった。だから、ヘンな恐怖心とかはなかったけど、たぶん痛いんだろうなって」

女子プロレス界の三禁を破ってアンチが増えた

その程度の理解のままプロレスの世界に入ってきてしまったため、最初はかなり苦労をした。ひたすら繰り返される受け身をマスターするための地味なトレーニング。誰よりも「効率」を意識している上福ゆきにとって、こんなに効率の悪い話もなかったが、受け身をちゃんととれるようにならなければ、プロレスラーとしてデビューできない。

「プロレスをまったく知らないから、基本的な動きもすべて見よう見まねでやるしかないんです。長身コンプレックスを克服するどころか、日々の練習では大きな体が、より自分自身にダメージを与えることになっていきました。遊ぶ余裕もなくなって、プロレスラーになってから、友達はかなり厳選されましたよ(笑)」

2017年夏、入門から約5か月後にデビュー。その際、高木三四郎大社長からある指令が出た。

「女子プロレス界って昔から三禁(酒、たばこ、男を禁じる不文律)があったんですよね? 私はそれすらも知らなかったんですけど、高木三四郎から“いずれ撤廃したいので、まず、かみーゆから三禁を守らない! と宣言してもらえないか”って。

たぶん、その場の思いつきだったんでしょうけど(笑)、私はなんにもわからないから、軽い気持ちで“いいですよ”って答えたんですけど、結果、アンチがものすごく増えました。というか、アンチしかいなかったんじゃないかな?」

▲三禁を守らない宣言をしたらアンチが増えたんですよ

女の子が健気にがんばる姿を応援する、というのが当時の女子プロレスの王道的な見方。そこに突如として現れたリア充全開の派手すぎる新人は、プロレスファンにとって眩しすぎたし、セクシーすぎる入場シーンも、まだ時代的には温かく迎え入れられるような存在ではなかった。

「あの頃はザ・体育会系の選手が多かったし、そこにパリピが現われたら、そりゃ、みんなアナフィラキシーショックを受けますよ(笑)。

ただ、私は“港区女子”みたいに見られて、実際に西麻布や六本木でも働いていましたけど、けっして派手な生活をしていたわけではないんですよ。給料の高い店を求めたら、西麻布や六本木になっただけ。銀座のほうが高い? あぁ、私は敬語ができないから銀座はムリ(笑)。

ただ、今となってはアンチばっかりで良かったと思う。もし、デビューからチヤホヤされていたら、私の性格上、長く続かなかったと思う。アンチばかりで悔しかったから“お前ら、いまに見てろよ!”という復讐の気持ちだけでプロレスを続けてきた。負けたままでやめるのだけはイヤだったから」

ブレない姿勢で勝ち取った王座のベルト

周囲の目と闘いながら、上福ゆきはプロレスラーとして進化していく。たくさんの技を持っているわけではないが、その長い脚を活かしたビッグブーツやフェイマサーは説得力抜群だし、なによりも華がある。彼女のすごいところは、そこで無理に技を増やしていかずに、自分にあった技を磨きながら、試合の精度をあげていったところだ。

「私にとってプロレスとは勝ち負けよりも“見てくれ”だから。昨日よりもほんの少しでも綺麗なドロップキックを打てたら、なんなら勝てなくてもいい、そのぐらいに考えていましたね。もちろん、強くなるためには、筋肉をつけるようなトレーニングをたくさんすればいいんだけど、筋肉がいっぱいついた“強い上福ゆき”はけっして求められていないと思うんですよ。

今のスタイルを維持したままで、プロレスラーっぽくない衣装で闘う。それこそが私じゃなくちゃいけない理由だと思う。そのあたりはポリシーを持ってやってきました」

ブレない闘いっぷりは、いつしかファンにも認められ、インターナショナル・プリンセス王座のベルトも巻いた。そして、2023年の夏に開催されたプリンセストーナメントでは、なんと決勝戦まで進出。

一発勝負のトーナメントでは、うまいこと風に乗った選手があれよあれよと勝ち抜くことが多々あるが、上福ゆきの場合、1試合ごとにファンの声援が大きくなっていき、その声援を背に受けて、どんどん勝ち抜いていったイメージ。まるでオセロのように、デビュー時にはアンチしかいなかった客席が「かみーゆ、がんばれ!」と声援を贈るように反転していった。

そのクライマックスが、後楽園ホールで行なわれた準決勝だった。この勢いで勝ってしまうかも! というムードがある反面、さすがにここで負けてしまうだろう……という空気も漂っていた。

そこで見事に勝利を収めたことで後楽園ホールは大熱狂、大爆発! 試合後、延々とリング上で大演説を繰り広げる上福ゆきの言葉に観客は納得、共感。惜しくも優勝は逃したものの、上福ゆきが真のピープルズチャンピオンになった瞬間だった。

「やっと、つかみ取りました。でもね、アンチを全員、ファンにするなんてことはムリだわ。どれだけひっくり返しても、新しくアンチは生まれてくるから、キリがねぇ(苦笑)。それはもう諦めた!」

ひとつ気になるのは「これから」だ。プロレスラーに憧れて、この世界に入ってくる人たちには、チャンピオンになりたいとか、こういう選手になりたい、という明確な目標がある。だが、上福ゆきはプロレスラーに憧れてきたわけではない。

「たしかにそういう欲はないかもしれない。鹿とか大きな動物って、最後は小さい生き物に肉とか内臓を全部、食べられて土に還っていくけれども、それが私にとっての理想。若い選手に私の良いところをどんどん盗んでいってもらって、そのまま消えていけたらいいですよね。

引退セレモニーとか派手に見送ってもらうのは私の性格では、ちょっと苦手なので、ある日、突然いなくなって、しばらくしてから“じつはもう引退しました”みたいな形がいいかも」

引退後は誰かのためになることをやりたい

カッコよすぎるが、さすがにそれはファンも悲しむだろう。もちろん、引退はまだまだ先の話なのだが、すでにプロレス引退後のサードキャリアは考えているのだろうか?

「誰かのためになることをやってみたい。もうね、プロレスラーになって一生分、人を蹴りまくったので、引退したら優しいことをやりたい。たとえば、お年寄りと動物が一緒に寄り添えるような施設を作れないかな、とか。昔の私のように、大きくて悩んでいる女の子に勇気を与えたいな、とか。プロレスをやることで、人のことを思いやったりだとか、これまでの私に欠けていたものをたくさん補完できたような気がします」

昨年11月には初の写真集『脚罪』(SW刊)をリリースした。リングでは見られないような姿も満載で、まさに彼女の魅力がすべてパッケージされたような一冊になっているが、こういう作品を見ていると、まだまだ「表現者」として、幅広い活躍を見せてもらいたいとも思う。

「うーん、どうなんだろう。そういう場がなくても、私の場合、たとえばファミレスでバイトを始めれば、誰にもマネできないような料理の運び方とかで、効率よくオリジナリティーあふれる輝き方ができると思うから(笑)。

あ、うれしかったのが、中学生の子が私に憧れて東京女子プロレスに入門してくれたんですよ! 私みたいな感じの子がプロレスをやってもいいんだって、そう思ってもらえたらいいなと思ってきたから、憧れられるのは光栄じゃないですか。で、私のどこに憧れたのか聞いてみたら“ママに似ているから!”だって、アハハハ!

ファンじゃない人が冷静に私の試合を見てみたら、きっと“30歳すぎて、一生懸命、受け身をとって、よくやるよ”と映るのかもしれないし、そんな姿を見て“よしっ、明日も朝から会議があるけど、私もがんばろう!”と思ってもらえるかもしれないし、何かを諦めてしまった人を“もう一度、動かすことができたらな”って。まだ女子プロレスを見たことがない人たちが、ちょっと見てみようかな、と思ってもらえるきっかけとして、まだまだ東京女子プロレスのリングで輝いていきたいですね」

▲上福ゆきの試合を見に行けば“心”が動くかもしれない

多種多様なスターが輝きを放つ令和の女子プロレス。一度、上福ゆきの生きざまを知ったうえで、彼女の試合を生で見ていただきたい。昭和や平成には存在しなかった、新しい女子プロレスのカタチがそこにはある。

(取材:小島 和宏)


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