Missing Foundation、SONIC YOUTH、Pussy Galoreのメンバーによるバンド"DRUNK DRIVING"、幻のカセット音源を世界初再発&CD化!

伝説的ジャンク・ノイズバンドであるMissing Foundationのフロントマンであるピーター・ミッシング、Missing Foundationのオリジナルドラマーであるクリス・イーガン、SONIC YOUTH, Pussy Galoreのボブ・バートが結成し、Missing Foundation以前に活動、Missing Foundationの基盤となったバンド、DRUNK DRIVING。 その“DRUNK DRIVING”が1983年に1本だけ残した幻のカセットテープを世界初再発、CD化される(レーベル直販受付サイトはこちら)。

Photo by Ellen rosenholtz DRUNK DRIVINGは、ピーター・ミッシングとクリス・イーガン、ボブ・バート等によりニュージャージー州ホーボーケンにて1980年結成。1981年よりニューヨークに活動拠点を移し、毎週ニューヨークでSWANSやSONIC YOUTH、HEART ATTACK等と共にライブを行ない、ニューヨークアンダーグランドの一翼を担う。やがてボブ・バートはSONIC YOUTH, Pussy Galoreでの活動に専念するため脱退したが、ピーターとクリスはメンバーを入れ替えDRUNK DRIVINGを継続、1983年にファースト・アルバムであり唯一の音源となる今作をニューヨークのダブウェイ・スタジオでレコーディングし自主でカセットリリースした。 その後、まもなくピーター・ミッシングとクリス・イーガンはDRUNK DRIVINGを解散し、1984年にMissing Foundationを結成。 DRUNK DRIVINGの情報は極端に少なく、アーティスト公式の写真はただ一枚しか現存せず、唯一の録音作品であるこのカセットも幻の商品としてコレクターの間で100$前後で取引されてきた。

Joe Truck(The Black Scorpio Underground)コメント

1980年代初頭のNYのアンダーグラウンドシーンは狂っていた。

当時のNYシーンはごく小さなアンダーグラウンドがあり、スカム、パンク、ハードコアがごった煮になっていた。俺は当時CHOP SHOPというバンドに在籍していて、SCRATCH ACIDやBUTTHOLE SURFERS、SONIC YOUTH等とタイバンしていたんだ。

そこでDRUNK DRIVINGに出会ったんだ。

彼らはステージ上で非常に激しく、また非常に雑な演奏だったが本当に強烈だった。

Peter Missingは素晴らしいフロントマンだったよ。

ライブパフォーマンスを例えるなら、ハードコア、パンク、ブルースの融合でPUSSY GALOREにとても似ていた。音はとても騒々しいが演奏は集中していた。パンクシーンの一部でありながら外見はGlenn Brancaが居たRAT AT RAT RやHI SHERIFFS OF BLUEに近かった。

時にはほとんどNO WAVEに近い演奏もあった。観客との交流も多く、「不法占拠者パンク」の雰囲気だった。

しかし、アウトサイダー/エクスペリメンタル・ロックの枠組みの中では誰よりも攻撃的だった。

当時の音で最も近いのはSWANSとRAT AT RAT Rだろう。

まだどちらも当時は全く人気がなかったけどね。

DRUNK DRIVINGは真のアンダーグラウンドだった。そしてとてもアウトサイダーだった。

Peter Missing(Missing Foundation)コメント

日本のクリエイティブなリスナー達へ。

私たちの音楽をサポートしてくれて特別に感謝しています。

私の最初のレコーディングをCDでリリース出来ることを大変嬉しく思います。

ノイズ、政治、そして音楽への愛を発信するHumanity RecordsとSLUG TAPESに注目してくれ。

▼“DRUNK DRIVING” プロモーション動画

https://www.youtube.com/watch?v=NhyL2tcg57w

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