介護・虐待・差別・DVの救済と問題の根源を睨む『52ヘルツのクジラたち』 杉咲花×志尊淳×成島出監督が“届かぬ声”の描出に挑む

©︎2024「52ヘルツのクジラたち」製作委員会

杉咲花×志尊淳×成島出監督

町田そのこの人気小説を『八日目の蝉』(2011年)『ソロモンの偽証』(2015年)の成島出監督、杉咲花主演で映画化した『52ヘルツのクジラたち』が、2024年3月1日(金)より劇場公開。

東京で痛ましい事件を経験し、祖母が遺した大分の家に引っ越してきた貴瑚(杉咲花)。彼女はある日、母親(西野七瀬)から虐待を受けて言葉を発せなくなった少年・52(桑名桃李)と邂逅。苦しみから救い出そうとしていく――。

「52ヘルツのクジラ」とは?

本作は【大分編】の現在と【東京編】の過去を行き来する構成になっており、52との交流の中で貴瑚の過去が少しずつ明かされてゆく。高校卒業後に3年間義父の自宅介護を押し付けられ、心身ともにボロボロの状態まで追いつめられた貴瑚。心神喪失状態でさまよっていたところを元・同級生の美晴(小野花梨)とその同僚の安吾(志尊淳)に保護される。2人のサポートで少しずつ自分を取り戻していく貴瑚。勤め始めた会社の跡取り息子・主税(宮沢氷魚)に見初められるなど順風満帆だったが、安吾と主税が衝突し……。

本作で描かれる内容は、正直言って壮絶だ。ヤングケアラー、児童虐待、トランスジェンダーに対する無理解から生じる偏見や差別、DVに有害な男性性等々、心痛な描写が連続する。タイトルにもなっている「52ヘルツのクジラ」というのは、鳴き声が高音すぎて仲間たちと意思疎通を図れず、孤立してしまうクジラのこと。貴瑚や52、安吾といった声を上げられない/上げても周囲に聴いてもらえない人々の苦悩をビビッドに描き、何が救済なのか、そもそも救済しなければならない窮地にまで追い込んだのは誰/何なのか――という根本的な部分まで問いかける。

映画が持つ功罪、杉咲花の貢献

傷ついた人々が寄り添っていく姿をエモーショナルに描く一方で、そうなれなかった人々も見つめていき、ただの感動作では終わらない本作。個人的/メタ的な見方ではあるが、この映画を観て個々が何を感じるかというところに、日本社会の現在地が見えてくるようにも感じられる。

本作で描かれる内容は現実社会と少なからずリンクしており、物語として消費することの危うさと享受したうえで各々がどう行動し、社会問題を解決していくか――その契機となる可能性の両面が内在しているのだ。物語が実際の当事者たちの苦悩を利用してしまうこと。ただその先に、非当事者の理解が促進する効果もまたあって……という議題を改めて考えさせられる。つまり、映画が持つ功罪だ。

そうしたなかで登場人物の“痛み”の媒介者となるのが、俳優陣の熱演。特に主演の杉咲花は出演者の域を超えた全方位的な貢献をしており、約1年にわたる脚本の改稿に参加し、『エゴイスト』(2022年)のLGBTQ+インクルーシブディレクターを務めたミヤタ廉を制作陣に紹介するなど、その貢献は「現場に行って役を演じる」にとどまらない。

“52ヘルツの声”を聞き漏らさないために

そんな杉咲が演じる貴瑚は作品の中で徐々に洗練された風貌になっていくが、3年分の介護で憔悴しきった状態から少しずつ健康的になり、髪型や服装も変わり――といった変化のグラデーションを見事に演じている。そしてやはり、彼女の真骨頂である感情の濁流。『市子』(2023年)での全身全霊の熱演が記憶に新しいが、『52ヘルツのクジラたち』でも感情が溢れる→涙が止まらなくなってしまう流れを、貴瑚が置かれる様々な状況に合わせて表出させている。先に述べたような側面を持つ作品で、どれだけ心を砕けるか――杉咲の奮闘がその指標になっていったことは、想像に難くない。

ちなみに本作は、ミヤタのほかトランスジェンダー監修の若林佑真、インティマシーコーディネーターの浅田智穂ほか、当事者/専門家をチームに招き入れ、対話を繰り返しながら作り上げていったという。映画というメディアが、ひょっとしたら聞き漏らしてきた“52ヘルツの声”を変わりゆく時代の中でどう拾い上げていくか。そうした“縦軸”においても、本作が今後どういった役割を果たしていくかを注視したい。

文:SYO

『52ヘルツのクジラたち』は2024年3月1日(金)より全国公開

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