【特集】私の好きなインドネシアの本 歴史を紐解く。

お薦めする人 轟英明

村井吉敬・内海愛子『赤道下の朝鮮人叛乱』(勁草書房、1980)

村井吉敬・内海愛子『シネアスト許泳の「昭和」』(凱風社、1987)

私が彼の人生に心惹かれるのは、時代の制約があっても、平凡な才能しかなくても、人は何事かを成し得るし、何かを後世に残し得ることを教えてくれるからでしょう。

自分の好きなインドネシア本を選んでみたら20冊になってしまった。さすがに20冊全部を紹介するのは多すぎるので、歴史というテーマで以下5冊に絞ってみました。レアなセレクションだなあと我ながら思いつつ、本の内容については自信があるので、機会があれば『+62』読者の方々にも是非、読んでいただきたいと思います。

まずは私のインドネシア観に決定的な影響を与えてくれた故・村井吉敬さんの著作2冊から。処女作でインドネシア初心者には特に強く薦めたい『スンダ生活誌〜変動のインドネシア社会』 (現在は岩波現代文庫から『インドネシア・スンダ世界に暮らす』として復刊)は「インドネシアの本特集・前編」で西宮奈央さんが紹介されていたので、ややマニアックながら個人的に思い入れのある『赤道下の朝鮮人叛乱』および『シネアスト許泳の「昭和」』の2冊を合わせて挙げます。

2冊とも村井さんの人生の伴走者だった内海愛子さんとの共著。アジア太平洋戦争中は「日本人」だった朝鮮人たちが日本軍占領期とその後の独立革命戦争下のインドネシアでどのように生き、刑場の露と消え、あるいは戦場で死んでいったのか。日本人インドネシア人そして朝鮮人の多くからも忘れられた抗日反乱、理不尽な「戦犯」裁判、そして「親日派」映画人の一生を、数少ない資料や証言を基に立体的に浮き彫りにしてくれる良書です。

私がインドネシアに片足を突っ込むようになったころ、アジア映画の文献を乱読していた四半世紀前に知って以来、3つの名前を持つ映画監督・許泳(ホ・ヨン)はなぜかずっと気になる人物でした。日本・朝鮮・インドネシア各国で活躍したとは言っても、彼が残した作品は映画史上の傑作とはならず、むしろ凡作の部類です。しかも日本軍政下のジャワでは偽ドキュメンタリー映画を監督し、堂々たる「親日派」朝鮮人、今日的価値観からすればまぎれもなく売国奴と非難される怪しい人物といえるでしょう。

しかし、彼にやや同情的な共著者の文章を読み進めるうちに浮かんでくるのは、何が何でも俺は映画を撮る!という日夏英太郎としての図太さであり、敗戦時にそれまでの態度をコロッと翻すホ・ヨンとしての後ろめたさであり、インドネシア独立後には俺の場所はここしかない!と異国に残留するドクトル・フユンとしての楽天性(日本の妻子を忘れてますが)といった彼のしたたかさと、映画にかける一途さです。多分、私が彼の人生に心惹かれるのは、時代の制約があっても、平凡な才能しかなくても、人は何事かを成し得るし、何かを後世に残し得ることを教えてくれるからでしょう。彼の遺作となった「天と地の間で」は、技術的に稚拙なところがあるものの、混血の主人公の人物造形には彼自身の人生が投影されているように見えて、感慨深く感じられます。

この2冊は実質的には2部作なので、是非、合わせて読まれることをお勧めします。惜しむらくは『シネアスト許泳の「昭和」』は絶版であること(『赤道下の朝鮮人叛乱』の新装版は1987年に出版、在庫僅少)。その後、発見された資料や映画の内容を追記しての完全版での復刻が待ち望まれるところです。さらに関心のある方は日夏英太郎の遺児である日夏もえ子さんの『越境の映画人〜日夏英太郎』も読んでみてください。

Kurasawa Aiko, “Masyarakat dan Perang Asia Timur Raya”(Komunitas Bambu, 2016 )

マクロとミクロの視点両方から「あの時代」を振り返ることができる充実した内容です。

さて、3冊目。日本人のインドネシア専門家の中では専門書から一般書まで幅広く書かれている倉沢愛子さんのインドネシア語著作『Masyarakat dan Perang Asia Timur Raya』を推します。これも上記2冊同様、アジア太平洋戦争関連書ですが、元になっているのは2002年に講談社現代新書として出版された『「大東亜」戦争を知っていますか』です。元々は倉沢さんがご自身の高校生の娘を読者に想定して書かれたこともあって、文章が平易で非常にわかりやすいのが特徴です。そして昨年出版されたばかりのインドネシア語版には、朝日新聞社の倉庫で発見された未発表の写真が多数、追加収録されており、貴重な資料でもあります。

内容は多岐にわたり、開戦前の状況に始まり、対日協力者の系譜、軍に振り回された在留邦人たち、経済政策、ロームシャや慰安婦などの戦時動員、宗教勢力への接近と監視、日本へ派遣された南方特別留学生、初等教育の充実、プロパガンダ映画の製作上映等々、マクロとミクロの視点両方から「あの時代」を振り返ることができる充実した内容です。

インドネシアの歴史教科書がやや無味乾燥で、インドネシア各地の出来事のみに限定されているのと比較すると、短い記述ながらも、あの時代を生きた人たちの人生がうかがえ、インドネシア以外の東南アジア各国の当時の状況についてもわかる本書は、インドネシア人の学生にも是非薦めたいです。インドネシア語がある程度できる方は、日本語版と照らし合わせながら読めば、語学の学習書としても使えるでしょう。

見市建『インドネシア—イスラーム主義のゆくえ』 (平凡社、2004)

暴力の系譜と思想史と運動史、そして町にあふれるポップなイスラム的「商品」を関連付けて論じた本。

4冊目は少し視点を変えて『インドネシア—イスラーム主義のゆくえ』。著者の見市建さんはご存知、インドネシアのイスラム専門家。本書の出版はユドヨノ政権誕生直前の2004年で、当時は2002年のバリ島爆弾テロ事件の記憶も生々しく、「寛容」で「穏健」とされたインドネシアのイスラム勢力が急速に過激化しているとの印象論が広く流布されました。こうした一面的な見方を、著者は「少数派の急進派のみに注目しても政治や社会の動態はわからない」として退け、より広い文脈でインドネシアにおけるイスラム運動の歴史とイスラム復興の実態を分析しています。暴力の系譜と思想史と運動史、そして町にあふれるポップなイスラム的「商品」を関連付けて論じた本は、当時、まだ多くはなく、そうした意味でも画期的な本でした。

この間、爆弾事件の主犯とされた過激派組織は弱体化し、貧困層の希望の星でクリーンと見られていた正義党は汚職に手を染める普通の政党になってしまい、何よりISISが中東で台頭するなど状況は激変したので、本書の記述にも多くの手直しが必要かもしれませんが、分析の枠組みそのものは依然、有効だと思います。「イスラムないしはムスリムを動態的に把握する必要がある」のです。

インドネシアで爆弾事件などが報じられるたびにテロの原因を知りたいと感じる日本人は多々いると思いますが、まずは見市さんの一連の著作と論文をじっくり読まれることをお勧めいたします。事件の直接的な原因はわからないにせよ、事件の背景を紐とくには歴史を知るのが一番なのです。急がば回れ。

Kho Wan Gie, “Komik Strip Pertama Indonesia ; Put On Edisi Pantjawarna”(PT Suara Harapan Bangsa, 2015)

この漫画が面白いのは、せりふにオランダ語や福建語やスラングが多数入り混じり、当時のジャカルタ都市部のファッションや風俗がよく描かれている点でしょう。

最後はガラッと趣向を変えて、1931年から1965年まで断続的に雑誌に連載された漫画の復刻版『Put On』を挙げます。現在は日本スタイルの漫画がインドネシア市場を席巻していますが、戦前から戦後しばらくはアメリカンスタイルの漫画が日本同様、主流でした。4コマ漫画ならぬ6コマ漫画で、柔らかなユーモアがコマとコマの間から漂ってきそうな作風です。

作者はインドラマユ生まれの華人Kho Wan Gie。Put On は主人公の名前ですが、漢字にすると「不安」でしょうか。青年というよりは中年で、小太りの中国系の彼が巻き起こす珍騒動が多くのパターンですが、中には時の政権のプロパガンダ的な内容もあったりします。この漫画が面白いのは、せりふにオランダ語や福建語やスラングが多数入り混じり、当時のジャカルタ都市部のファッションや風俗がよく描かれている点でしょう。1970年代に一世を風靡したシラット漫画では登場人物たちが折り目正しい正調インドネシア語を話していて違和感ありありだったのですが、Put Onでは登場人物たちが生きている言葉を使っているのが非常に印象的で、ちょっとした言葉の勉強にもなります。

轟英明(とどろき・ひであき)
初めてジャカルタの土を踏んだのは1987年。2002年からインドネシア定住。日系スーパーで売られている日本米「HIDEAKI」とは無関係。趣味は読書、映画鑑賞、コーヒー豆の自家焙煎。

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