【特集】私の好きなインドネシアの本 バリの芸能、バリ人の考え方。

お薦めする人 本君田綾子

東海晴美、泊真二、大竹昭子、内藤忠行『踊る島バリ〜聞き書き・バリ島のガムラン奏者と踊り手たち』(PARCO出版局、1990)

「人間はひとりひとり額のところにたったひとつの使命が書かれているんだよ。でも私たちはそれを見ることはできないんだ」

「つまりね、体を動かせたら、そりゃもう踊りなんだ。この世に生まれて、体が動いたら、もう踊りなんだ。実際、すべてが芸術なんだ」

この本に出会ったのは、大学4年の春だったと記憶している。そのころにはもう絶版だったのか、注文もできなかった。自分の体験をベースにしたバリ舞踊をテーマにした卒論を書くに当たって、是非、読みたい本だったので、あちこちの図書館を当たろうとしている最中だった。自宅近くの大型古書店に暇つぶしに入ったら、そこにあったのだ。まったくの偶然。信じられなかった。髪の毛が逆立つように興奮した。あった! あった!

本書は、バリ島プリアタン村で1930年代から今日に至るバリ舞踊の発展に多大な貢献をした、マンダラ翁の語りを中心にまとめたものである。マンダラ翁はグヌン・サリ、ティルタ・サリという、現在もトップクラスの歌舞団2つを創始した人物として知られている。ティルタ・サリが定期公演をしているバレルン・ステージに、壮年のころの翁がクンダンを叩く写真(遺影にも使われた物だ)が飾られている。「ああ、あの人か」とご記憶の方も多いだろう。

ウブド長期滞在中、グヌン・サリに籍を置く踊り手からプリアタン・スタイルのバリ舞踊を習い、毎日どこかの定期公演やお祭りの奉納舞踊を見に行っていた私にとって、マンダラ翁は伝説的な人物だった。世界にバリが「発見」された1930年代を知り、パリ万博で演奏し、ミゲル・コバルビアスやコリン・マックフィーがのめり込んだあの時代のバリに、まさに芸能の中心で生きていた人物。

晩年のマンダラ翁が思いつくままに語ったと思われる、幼少のころから現在までの話は、バリと、バリの芸能の歴史そのものだ。翁はこの本の制作中に亡くなっている。翁の子供たちや、同時代の芸能の中心にいた人々の語りがさらに理解を深め、広げてくれる。

私がバリ舞踊を始めたのは、外国人でも自分の体を使うことで、バリの人々が信じている世界を少しでも理解する助けになる、と思ったからだった。その深淵の入口につま先を乗せただけだとは知らずに。信仰と芸能と生活が一体になっているバリの死生観、ものの考え方すべてに、私は恋をしていたのだと思う。本書の、ほかならぬバリ人の口から語られる言葉の数々が、いちいちぐっとくる。今もぐっとくる。いくつかご紹介すると……

ワヤンはすなわち、人間の中にあるものが影となって現れるのである。(中略)つまり、人間の腹の中にすべてがあるということだ。人間の体は、それ自体、ひとつの小宇宙になっている。それをひとつひとつ出してみせるのがワヤンなんだ

プラウォ(ダラン)

正式に踊りの道に入る前に儀式がありました。踊り子の体に神さまが降りてきてくださるようにね。どうやって神さまが体の中に入ったのかはわかりません。自分では何も感じなかったから。でも、目を閉じているのに、まわりがちゃんと見えるんです。それにまだ踊りを習っていないというのに、目をつぶったままで踊れちゃうんですよ

ニ・チャワン(踊り手)

人間はひとりひとり額のところにたったひとつの使命が書かれているんだよ。でも私たちはそれを見ることはできないんだ

マンダラ翁

……という具合。

今改めて読んでもドキドキする。

私が踊りを習い始めた2000年ごろからすでに、「バリは変わってしまった」と言われていた。その前年に定宿の前の道がやっと舗装されたぐらいだったのに、だ。亡くなる直前のマンダラ翁も「もうお金を見てしまったからね。今の人々はお金が好きだから、変わっていくだろうね、おそらく。そうして芸術は堕ちていく。それは時代というものだ。だんだん魂もなくなって、本物じゃあなくなるんだろうね」と語っている。

それでも私の目には、奉納舞踊やチャロナランでトランスに入ってしまう人々、バレガンジュール、真夜中のワヤン・クリッはまだまだ「本物」に映る。青臭い若者が必死にそう信じたいだけかもしれない。バリの芸能のこれからは、私たち外国人には手出しのできないことだ。くねくねしたクレアシが流行ろうと、レゴンがどんどん短いアレンジになろうと、私たちにはどうしようもない。バリの人たちが決めていくことだからだ。

でも、私は信じたい。マンダラ翁や、同時代のマリオ、ロットリングらが新しいバリ舞踊を、芸能の枝葉を広げていったのと同じように、魂は受け継がれていくと。バリ舞踊を、バリを愛する者の1人として、そう思い続けたい。

最後にもうひとつ、本書に出てくる言葉を紹介したい。

つまりね、体を動かせたら、そりゃもう踊りなんだ。この世に生まれて、体が動いたら、もう踊りなんだ。実際、すべてが芸術なんだ

イ・グスティ・グデ・ラカ(演奏家・舞踊家)

しびれる。

きっと今日もバリは、踊っている。

ヴィキイバウム著、金窪勝郎訳『バリ島物語』(筑摩書房、1997)

バリの人々の生活や、人との接し方、慣習までもが、非常に踏み込んだところまで描かれている。畑仕事、略奪婚、クルクルで始まる村の集会、祭り、闘鶏、火葬式……そのどれも、非常に細かいディテールまで書き込まれている。

攻め入って来たオランダ軍に、最上の衣装を着け、宝石で飾り、ガムランを鳴らしながら、銃弾にひるむことなく向かって行った、誇り高きバリ人たちの行進——ププタン。世界史の教科書には出て来ない、小さな島の大きな出来事だ。本書では、オランダ時代のバリの人々の、ププタンに至るまでの状況や心情の経過が詳しく辿られる。

のみならず、ここにはバリの人々の生活や、人との接し方、慣習までもが、非常に踏み込んだところまで描かれている。畑仕事、略奪婚、クルクルで始まる村の集会、祭り、闘鶏、火葬式……そのどれも、非常に細かいディテールまで書き込まれている。ああ、バリの人たちはこんな風に物事を見ているんだ、こういう感じ方をするんだ、ということがよくわかる。

主人公のパックという男性の視点で物語の大部分は進む。だから、描き出されるバリ人の生活習慣や話し方も、すべて男性のそれだ。パックのやることなすこと話すことは、私自身がこれまでに関わってきたバリの友人たちそれぞれのエッセンスを凝縮したようで、「ああなるほど」といちいち納得してしまう。

ウブドにしばらく滞在した後にこの本を読み返すと、「ああ、そうそう」「わあ、変わってないんだ」「今も同じだ」と思う箇所がたくさん出て来て、ずーっとうなずきっぱなしになる。ああそうなんだ、繋がっているんだ、連綿と。遥か彼方からとうとうと流れ来る大きな川の前に立っているような気持ちになる。もちろんそれは現代までずっとつながっている。

ご紹介した2冊はどちらも、バリを愛する外国人の観察と取材によって書かれたものだ。バリの人々の姿を丁寧に描き出していると思うが、ここはやはり、バリ人自身の手と目によって書かれる文学の出現を待ちたい。とりわけ女性の。

本君田綾子(もときみだ・あやこ)
大学在学中からバリ舞踊を始める。2005〜2010年にバリ島ウブド、2010〜2016年にスラバヤ在住。ウブド在住中から、フリーライターとして活動。

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