【特集】私の好きなインドネシアの本 時と場所の交差点に立つ。

お薦めする人 松下哲也

インドネシアに関係する本を挙げてくれと言われて思い出したのが、最近、読んだ本でなく、昔の本ばかりなのはなんでだろう? おっさんになって過去を振り返りがちなんだろうか? それともネットができるようになって読書量が落ちてるせいだろうか? そんな後ろ向きな理由ですが、インドネシア以外に生き物、バイク、といった私を構成する要素に、過去はあった「旅」という要素を絡めたセレクションです。

**アルフレッド・ラッセル・ウォーレス著、新妻昭夫訳

『マレー諸島〜オランウータンと極楽鳥の土地(上・下)』**(筑摩書房、1993)

これこそ狂気と呼ぶにふさわしいな、と。面白くオカシイ人の書いた旅行記は本当に面白い。

まずは『マレー諸島』。これは外せないでしょう。

インドネシアといえばオオバタンといったオウムに、コモドオオトカゲ、ハナブト、アメジストパイソン!といった爬虫類というイメージが強く、今でもインドネシアの島の名前や地名を聞くと、そこに住む生き物が真っ先に浮かびます。インドネシア行きが決まってこれを読んだのは、古典から押さえるって意味だけでなく、ウォーレスなら動物がいっぱい出ているだろうし、それに表紙のオオハナインコとフクロシマリス(バイト先で世話しててかわいかった)に釣られたから。そんな私やウォーレス大先輩にとって、この地は魅力ある生き物の宝庫。私は、自然で目にする機会はたくさんはないですが、大先輩がこの地を飛び回った理由も、よおくわかります。まあ、今でもうんざりするぐらい広いのに、大先輩がご存命の時代の交通機関ときたら……それで、よくあちこち行って採って調べて発見する……これこそ狂気と呼ぶにふさわしいな、と。大先輩の生涯を見返しても、よくぞこんなにいろんなことに関心を示すな、と。面白くオカシイ人の書いた旅行記は本当に面白い。

そんな中で特に面白かったのは、私が行ったティモール島の記述。大先輩は私が仕事をしていた対岸のセマウ島に渡ろうとするのですが、船が沈みかけて危ない目に遭います。確かに、あの水道は潮がきつく、季節風の影響も受けやすい。私も3度ほど、船を沈めたり沈めかけたりして怖かった思い出があります。で、大先輩の船の沈みかけた理由が、船の穴を塞いでいたココナッツの殻が外れてしまったというお粗末な理由。そういったお仕事ぶりに、その地で使っている部下の顔が浮かび、私も君たちも、やらかしてることは昔の人と大して変わらんなあ、と。

そうやって大先輩はセマウ島に苦労して渡りますが、そこのある村で、湧水で満たされた美しい人造の池に出会います。そのプール。オエアサ村にまだ残っていて、私も水浴びさせてもらいました。あれが大先輩の時から残っていると思うと、何かくるもんがありますね。過去のイギリスの人間と現代の日本人が、インドネシアの僻村で同じ物を見てるかもしれない。時と場所といった縦糸と横糸の交差点に立っているかのような不思議な思いがしました。

また、大先輩はティモール島のクパンという、周辺の島民や民族が寄り集う街で、ある発見をします。いろんな島の人々の中でもサヴ島の人間の顔が整っていると。さすが大先輩! サヴ人はバリ、またはジャワから渡って来た貴族の末裔って話もありまして、メラネシア系の顔立ちの方が多いティモール島の中で、ジャワ人、それよりもインド人みたいな顔立ちの方が多いです。私も、かの地に赴任して、かわいい子だなあと思ってたら出身はサヴ、ってことがしょっちゅうでした。それが高じて(以下略

ウォーレス大先輩が、この地をうろつき回ったのは今から150年前。150年という月日でこの地も大きく変わったでしょう。それでも変わらないモノや残っているモノがある。そういったことを、まずこの本で読み、自分の目で確認する作業は非常に楽しかったです。

旅行記を読むという行為は、行ったことのない土地へ思いを馳せる楽しみがあると思います。その旅行記の舞台に立つと、今度はその書かれた過去へ思いは飛び、そこから時や歴史の流れを感じるという、なんとも不思議な感覚を味わうことができました。来る前に読んでいて良かったとつくづく……。

チャールズ コーン著、藤井留美訳『インドネシア群島紀行』(心交社、1992)

埃っぽく暑苦しく眩しい街並み。色とりどりで、横っ腹にいろんな英語の単語が書かれて、大音響の音楽を振りまきながら走るベモ。海沿いにある、私もさんざん酔っぱらったバー。20年前のクパンは、辺境にあるコスモポリタンシティーといった雰囲気のある面白い街でした。

そういう時間の流れをもっと身近に感じられたのが、私がいた時期と本の書かれた時期があまり離れていなかった書、『インドネシア群島紀行』です。これもインドネシアで仕事をするのが決まってから読んだ本。そしてインドネシアに来て、何度も読み返しました。

著者のチャールズ・コーンは映画で見たコンラッドの印象を追いかけてインドネシア各地を旅します。彼の書くインドネシアは美しくて魅力的ではあるが、何か悲しい。出て来るインドネシアの人々が明るくて楽しいと言うよりも、傷つき苦しみ、そして何かに囚われている人が多いからでしょうか?

実際にインドネシアに来て「(本と)違うな」と思ったこともありますし、こっちで日本人に貸して「全然、書けてない!」と怒られたこともありました。でも、来る前には、コーンの書くインドネシアに非常に魅かれたんですよねえ。

で、ここでもウォーレス大先輩の著書と同じように、私がいたティモール島のクパンが出て来ます。私が赴任する1995年のチョイ前に彼は訪れたようで、そのクパンの様子は良く描けていると思いました。埃っぽく暑苦しく眩しい街並み。色とりどりで、横っ腹にいろんな英語の単語が書かれて、大音響の音楽を振りまきながら走るベモ。海沿いにある、私もさんざん酔っぱらったバー。そして、そこに集う西洋人。

クパンはオーストラリアに近いために、あちらから渡って来て過ごす西洋人が多い街でした。バリよりも物価が安いと、余生をこちらで過ごす人や仕事する人。そして、訪れる旅人。20年前のクパンは、辺境にあるコスモポリタンシティーといった雰囲気のある面白い街でした。同時に、車で1日走れば、外国人が立ち入ることのできない東ティモールがある、という厳しい現実。そこには明るさと、ある種の物悲しさがあったように思います。

そんな街の雰囲気は、スハルト体制崩壊と東ティモール独立、そして起こった反豪感情で一変しました。だから、今、彼の本を読むと、インドネシアに来たころを懐かしく思い出します。彼が訪れた土地をいくつか私も行きましたが、スンバワなど、クパンと同じように感じた所もあれば、時間が経ち過ぎたせいか感じなかった場所も……。

コンラッドの世界を味わいに来た彼の眼を通して読んだインドネシア。その「世界」と実際のインドネシアの違いと変化。この国で生きていくのに大きく影響を受けて、読んで良かったなと思う本の1つです。

竹内雅夫『インドネシア スラウェシ島縦断〜ポンコツバイクで冒険旅行!!』(東洋出版、1994)

実際に走り出すかは……頑張れおれ!

最後の『スラウェシ島縦断』、この本はインドネシアに来てから読みました。たまに行くジャカルタの紀伊國屋書店で、日本の2倍の値段に嘆きながらも本を買うのが数少ない楽しみでした。そのころはあまりあちこちにも行けず、閉じ込められ感が強かった。で、バイク好きな私でも、今と違い、劣悪な交通事情と小さくて高いバイクに尻込みして乗ってませんでした。そんな中で読んだツーリング記。それからしばらくして仕事で行くようになるスラウェシ島をマカッサルからマナドまで! それも当時の私のような20代の若者ならわかるけど、50歳のおっさんが。自分が同年代に達しつつある中、改めてその行動力に感心します。感心すると同時にものすごくうらやましかったのを覚えてます……。

そんなおっさんになった私ですが、ここ最近になって、道も良くなりましたし、大きいバイクも入手できるようになり、辛抱たまらんとカワサキの650ccでうろうろしてます。そして私自身もマカッサルからパレパレやパロポ、ランテパオまで四輪で走ったりもしました(同行した同僚と交代での運転で、ですが)。しかし、私が来たころと同じ1990年代半ばでは道も悪かっただろうし、それも日本から来て、借りたバイクで。そいうことを思い出してまた気になり、検索して見つけて再読しました。読み返して、「やっぱすごいなあ」と思いながらも、自分にもふつふつと沸き立つもんが。大分、こっちで走るのに慣れたし、少しだけならスラウェシ島に土地勘もあり、知り合いもいる。ティモール島からフローレス島に渡り、マウメレからマカッサルに出ているフェリーに乗れば……長距離ツーリングに備えてバイクに箱も付けた。さびついてた旅人としての要素を取り戻そう! そういうきっかけを、再読することで与えてくれました。が、実際に走り出すかは……頑張れおれ!

松下哲也(まつした・てつや)
1995年にインドネシアへ。現在も東ヌサトゥンガラ在住。真珠屋。小物釣師。のんびりライダー。元・無神論者のクリスチャン。

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