法隆寺の創建当初の伽藍とされる 若草伽藍の南端を示す溝か

斑鳩町にある法隆寺の創建当初の伽藍=若草伽藍の跡とされる場所の発掘調査で、伽藍の南の端を示す可能性がある溝などが見つかりました。

法隆寺をめぐっては日本書紀に天智天皇9年=670年に焼失したという記述があり、若草伽藍は寺の創建当初の伽藍とされています。発掘調査では幅およそ2メートル、深さおよそ50センチの溝が確認され、溝からは大量の瓦などが見つかりました。

斑鳩町教育委員会によりますと瓦は文様の表現方法などから7世紀前半に作られたと考えられます。中には、軒平瓦に文様を付けるための型を上下交互に押して装飾した全国的に見ても例のない鴟尾のようなものもあり、古代寺院の瓦を研究する上で貴重な資料になるということです。溝からは焼けた壁土も見つかっていることから伽藍の焼失後、溝に瓦などを放棄したと見られます。

発掘調査が行われた場所は、金堂や塔の南側で、これまで伽藍の南側を区切る遺構は確認されていないといいます。

斑鳩町教委生涯学習課 荒木浩司 課長補佐

「若草伽藍の範囲というのはまだまだ謎が多くあります。今回、南を限る溝の可能性のあるものが見つかったということで、その範囲を考える上で新たな資料を提供したといえます。今後調査を進めて新たな資料が出てくればいいなと思っています」

なお現地説明会は3月3日に行われる予定です。

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