何度ストップしても、失点を糾弾され続ける。GKに隠された“狂気”【コラム】

「LOCO」

スペインで、ゴールキーパーはしばしばそう定義される。「狂気の人、クレイジー」という意味で、捉え方によってはひどい言い方である。「変わり者」くらいに訳した方がいいのか。

しかし大事なのは、「GKは狂気を帯びていないと、やっていけないポジション」という本質にあるだろう。

ピッチに立つ11人の中、GKはたった一人だけ手を使うことが許されることによって、失点の責任を必ず負わされる。権利と義務のバランスは非常に悪い。損な役回りである。

失点するたび、心を削り取られるだろう。なぜなら、そのロスは挽回できないからで、失点は失点で動かない。例えばストライカーはイージーなシュートをミスしても、次に決めたらミスは帳消しになるし、場合によってはたちまち英雄になれる。しかしGKはたとえ何度ストップをしても、「あのミスがなかったら」と失点を糾弾され続ける。

狂気を持っていないと、戦いに挑むことはできないポジションだ。

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最大の敵であるストライカーとは、背中合わせのメンタリティを持っていると言えるかもしれない。

ストライカーは虚栄心や自負心を解き放ち、唯我独尊でゴールを狙う。エゴイズムの塊である。主役のスポットライトを浴びようとする明朗さこそが、彼らのエネルギーだ。

GKも「ヒーローへの渇望」はありあまるほどあるのだが、同じだけのパワーで自らのエゴを堅く封印しなければならない。十字架に磔にされるのを覚悟し、ゴールマウスに立つ。フォア・ザ・チームに徹し、むしろ目立たない影のようになれる自制心が求められるのだ。

ありあまるエゴを持ちながらも、それを強く封じられる。
その矛盾に、狂気が滲み出るのだ。

実際、ティボー・クルトワ、エデルソン、アリソン・ベッカー、ヤン・オブラク、マルク=アンドレ・テア・シュテーゲンなど有力なGKは気高く厳かで、驕ったところを一切、見せない。むしろ、主役を避けるような言動を心掛けている。ビッグセーブの後もガッツポーズをするのではなく、「何事もない。軽く弾き返せるぞ」と相手を畏怖させ、味方を鼓舞する金剛力士像の迫力を漂わせる。その平常心こそが、優れたGKとしての条件と言えるかもしれない。

一切のミスが許されない彼らは、少しも気を抜かず、最悪の事態に備えて対処し続ける。それは非常に用心深いキャラクターを作り上げるのだろう。あるいは、そういう人物しか、GKとして高みに立てないのだ。

ストライカーのような能天気さや驕り昂ぶりは毒でしかない。自らを律する健全さこそ、GKの資質と言えるわけだが、そこには狂気が隠されているのだ。

文●小宮良之

【著者プロフィール】
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『選ばれし者への挑戦状 誇り高きフットボール奇論』、『FUTBOL TEATRO ラ・リーガ劇場』(いずれも東邦出版)など多数の書籍を出版。2018年3月に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューを果たし、2020年12月には新作『氷上のフェニックス』が上梓された。

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