ポスト山口百恵の最終兵器!中野美紀のデビューシングル「未経験」はタイミング悪すぎ…  アイドル花の82年組、中野美紀を覚えているか?

花の82年組、愛称はミッチの中野美紀

小泉今日子、堀ちえみ、石川秀美、早見優、そして中森明菜など、たくさんの女性アイドルがデビューした1982年。彼女たちは、”花の82年組" と呼ばれ、それぞれにヒット曲を放ち、現在活躍している方も多い。

しかし、2年目以降も残れたアイドルはごくわずか。そんな中、残念ながらヒット曲に恵まれなかったものの、私の心に強烈なインパクトを残したアイドルがいる。その人の名は “中野美紀" 。1982年3月1日に「未経験」という曲でデビューした。愛称は “ミッチ” 。ご存じの方はいるだろうか。

中野美紀は1981年に『スター誕生!』の第35回決戦大会で山口百恵の「白い約束」を歌って合格。この決戦大会では小泉今日子も合格している。小泉今日子とはレコード会社が同じで、デビュー時期も同じ3月だったのだが、レコード会社は当初、小泉今日子同様、中野美紀もプッシュしていたと思われる。 

ちなみに、この年にテレビ東京系列のテレビ大阪が開局。2月下旬から試験放送をしていたときに、デビューするアイドル2名のミュージックビデオのようなものが毎日流れており、そのひとつが中野美紀の「未経験」だった(もうひとつは早見優)。

センセーショナルだったデビュー曲「未経験」

さて、そのデビュー曲「未経験」だが、これが当時としてはかなりセンセーショナルな内容だったのである。

 カンパの紙がそっと 授業中まわります あの子がヘマをしたと 隣の子が囁く

おわかりだろうか?これは女子高生の妊娠・中絶をテーマにしているのである。こんなヘヴィーでデリケートな問題を歌にし、しかもデビューしたてのアイドルに歌わせるというのはかなり大胆だ。

しかし、当時のティーンエイジャーにとって、こういう問題は意外に身近だったのかもしれない。1981年ごろ、少女マンガ雑誌『mimi』に連載されていた吉田まゆみ先生の『B.D.(ボタンダウン)フィーリング』というマンガの中に、以下のようなシーンがある。

「ちょっとさ カンパしてくんない? ミサコがさあ ドジったのよ」「えーっ?」「どうしたの?」「妊娠したんだって…長良さん…」「え…」「アズも(カンパを)たのむよ」「うっ、うん…」

これをリアルタイムで読んだ私は衝撃を受けた。当時の女子高生の間で本当にこういうことが行われていたのかどうか私には知る由もないのだが、少女マンガで扱われるくらいだから、“あるある” だったのかもしれない。しかし、そんなショッキングなテーマを、しかもデビュー曲にしてしまうのは相当チャレンジングではなかったのだろうか。

時代にフィットしなかった山口百恵路線

歌詞にはこんなフレーズがある。

経験者はスカーフを短めに結びます二年の夏のあとは急にふえます

いけませんか いけませんかあとで泣いたりしないと約束します

山口百恵が「ひと夏の経験」で歌った「♪あなたに女の子のいちばん大切なものをあげるわ」や、「青い果実」の「♪あなたが望むなら私何をされてもいいわ」のような “青い性” 路線を狙ったのだろうか。確かに曲調は少し陰のあるメロディで、編曲も百恵の曲に携わっていた萩田光雄である。“美紀は百恵の曲でスタ誕合格したし、百恵路線で!” みたいなオファーがあったのかもしれない。しかし、1980年デビューの松田聖子・河合奈保子・柏原芳恵以降、女性アイドルは明るくて爽やかなイメージの人が多い。そういう意味でも時代にフィットしなかったと言える。

1982年7月の中森明菜「少女A」のヒット以降、挑発的な女の子を主人公にしたアイドルソングがだんだん主流になり、1983年の桑田靖子「脱・プラトニック」、1984年の加藤香子「偽名」、1985年の高橋里奈の「16才の儀式」といった、いわゆる “喪失歌謡” と呼ばれるものをデビュー曲に持ってくるパターンはあった。しかし「未経験」は1982年3月。タイミングが悪すぎたとしか言いようがない。

モー娘。SPEED、AKBの青い性路線

平成に入ってからも、女性アイドルの曲に “青い性" 路線と捉えることのできる曲は存在する。例えばモーニング娘。の「モーニングコーヒー」や、SPEEDの「Body&Soul」、もう少し後だとAKB48の「制服が邪魔をする」などがそうだ。昭和のそれとは違い、“そういう行為”がストレートに見えてこないような表現になっている。令和の時代に人前で「未経験」を歌ったら、聴いている人は「えっ、何この曲?こんな歌詞歌っちゃって大丈夫?」と衝撃を受けると思うのだが、モー娘。やSPEED、AKB48の曲でそう感じる人は、いたとしてもごくわずかだろう。

残念ながら、この曲はオリコンシングルチャートで200位圏外だった。セカンドシングル「破れたダイアリー」がリリースされたのは翌年の1983年。それ以降はフェイドアウトしてしまった。歌唱力のあるアイドルだっただけに、もったいないなぁと思ったものだ。

ところで、曲の中に「経験者はスカーフを短めに結びます」というフレーズがあったが、こういうことは実際に行われていたのだろうか? 当時の女子高生事情を知る人にぜひお聞きしてみたい。

カタリベ: 綾小路ししゃも

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